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月別アーカイブ: 1月 2003

先日、TVを見ていると70年代ディスコブーム時代のダンスミュージックのオムニバスCDの宣伝をしていた。短いCMの中に詰め込むようにして収録曲がかかっていたのだが、その中で、「お!」という曲があった。それは、一昔前に解散した関西のソウルバンド、HUMAN SOUL(ヒューマンソウル)でカヴァーされていた曲だった。

HUMAN SOULが活動していたときには、よくライブに行ったもので、弟のShinjiと、新年早々、チキンジョージで真夜中から朝にかけて開催された、「御節ライブ」なんてイベントにも行ったっけ。清水興のベース、ジミー橋爪のドラムがずかっとくる上に、グッチ谷口のカッティングがまたいい!ツインヴォーカルのソウルがのっかってくる。ま、ナニワエキスプレスで出来なかったことを思いっきりやっているという感じさえある、とにかく楽しそうに演奏するバンドだった。で、HUMAN SOULは古いソウルやダンスロックをよくカヴァーしていたわけで、とても勉強になった(w。

めくるめく演奏の中には質の高いオリジナルもあるので、聴いた曲をもう一度聞きたいときには、彼らのCDを探して見つかるときもあれば見つからないときもあるわけだ。だから、不意に耳に入ってくる曲をびびっと思い出してはルーツをたどっていく。もちろん、これにはライブで一度聴けば忘れないという、高速処理が必要なのだが(w もちろん、探し出せても、それがさらにカヴァーだったりすることも多々ある。また、TOWER OF POWERかなと思いきや、CAMEOの曲に行き着いたり、とか、まあそれはそれで楽しいのだがね。インディーズ含め、数枚のCDが出ているはずだ。関心あらばぜひ聞いてやってくれ。

今回見つけた曲は「That’s the way」で、「KC&The Sunshine Band」が演奏しているということをTVのテロップで見つけるや否や、インターネットで探して試聴。ジャンプ感あふれるこの曲を含むBEST CDが東芝EMIから出ていたのを発見した。紙スピーカでじんわり楽しんでいるところだ。あー、うれしい。踊っちゃうね、これは。

That’s the way, ah-ha ah-ha I like it!!〜

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以前から呑む約束をしていたAUeno氏にIRCで連絡がついたというのと、不覚にもGood-dayさんに二日連続で詣でた勢いで(w)おなじみの店にいくことにしたというのが、この店で、台湾小皿店。平たく言えば広東料理〜飲茶屋。以前にもG社前田社長はお連れしているが、それ以後何度か彼の姿をここで見かけたらしい。どうも最近、私よりも地の利がある方々がわたしの紹介した店のリピーターになる傾向が増えている・・・そろそろこのJournalも「さ〜て今日は何を食べようかな」と思ったときに参考にされる割合が増してきたのかもしれぬな。ま、それはさておき。

場所はJR北新地の真上、大阪駅前第二ビルの真向かい南側にある。ここはずいぶん前から好きな店で、ふらっと入ったらまずまず大当たりだったというところだ。某大手総研会社松村氏(この記事の読者だと予想。以前にマンチンロウの記事で登場している)と一緒に香港に行って食した飲茶と比べるとパクチーの混ぜ込みが足りないのだが、単品あたりの価格が日本の割りに安いのと、副惣菜系の定番メニュー、たとえば空芯菜などの味付けがなかなかよろしい。立地が北新地なのに、いわゆる「らしくない」雰囲気なのがさらに良い。銀座の「北斗」よりさらに安く、もっと飲茶寄り。横浜のマンチンロウほど品数はそう多くないが、十分だろう。

「(メニューの)ここからここまでばさっと全部」とか言うのに躊躇する必要はない。メニューの数字を怒涛のように言っていけば、たくさんの注文も非常にスムーズにとおる。飲茶なんてものは、どどどっと頼んで、丸いテーブルを一杯に、ひしめき合うほどにせいろを並べてもらうに限る。そして、ものすごい勢いで食べていくのだ。もちろん、せいろごとに漬けるタレも違うし、薬味がついてくることもある。下手な居酒屋より、食も会話もよっぽど盛り上がるってわけだ。ショウロンポウやお粥を食べつつ、空芯菜をむしゃむしゃと食べるのはやっぱり楽しい。少し甘い紹興酒のポットを横に、ホットできゅっと引っ掛けつつ、ビジネスだのイベントだのプライベートだの、表に裏に話を盛り上がり、最後に好みのデザートでしめれば寒い大阪でもあったまるってもんさ。とはいえ、大阪は寒すぎるので駅からの往来はくれぐれもできるだけ地下を通られたし。(><)

今年は香港オフだな、これは。まじで。

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風邪引き真っ最中、嫁の帰省などを兼ねて移動した関西は東京より明らかに寒い・・・寒気がする・・・想定外なことに空港では誰も待っていない・・・合流後すぐに飲茶しようねっていってたのに・・・なに今から出る?・・・もういいよ・・・渡すべく手に持ったおみやげの重さが増す・・・体調悪いせいか、どうも辛抱が足りない人間になっていることに気がつき、気をとりなおすことに。いやはや(汗

とりあえず2,3本電話してその後の段取りをつけなおし、551の蓬莱に向かった。JASで降り立つと、551は真逆なので、距離はある。しかし、どれだけ荷物が多くてもいかなければならないのだ。お好み焼き、たこ焼き、うどんに次いで、関西でしか気持ちよく食べられないものにエントリーされてくるもの、それは551.(笑 幸い、料理関連は器用な嫁のおかげでお好み焼き、たこ焼きはなかなかの上物を自宅で食べられるようになった。うどんもうちで食べるとつゆは透明。(東京のあのどす黒いだしは、そばにしかあわない。でもそば屋でうどん頼むと、あれに無理やりうどんもいれちゃうからなぁ。)

てことで、551.主に嫁は小龍包(ショウロンポウ)がお気に入りだ。私は何度か香港にもいって飲茶関連は大抵のことは知っているつもりだったが、ショウロンポウの食べ方を指摘されて目からうろこが落ちる思いだった。今まではさくっと箸でつまんでたれにつけて食べていた。しかし、551によると、まず箸でつまむか、レンゲですくってしまい、つまりショウロンポウ本体を一旦レンゲの中にすっぽりと置き、そのレンゲのままたれを少々すくい、一気に、あるいはかじって粛々と食べることができるというわけだ。

この方法だと、従来の方法にありがちな問題を回避できる。つまり、箸でつまんだまま食べると、皮がやぶれて内部のスープを落としきってしまう、それを回避するために一口で食べようとすると、やけどしかねないほど熱い、で、たれなんぞつけてる余裕はなーい!うまみを満喫できなーい!という問題。

てことで読者の皆様には、ショウロンポウを食べるときには慎重にレンゲに移して、その先をちょんちょんとたれにつけながら、内包物のスープも含めてまったり召し上がっていただきたい。

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そういえば、今日はうららかな日差しの金曜日、昨日はめっちゃ寒い雨の木曜日、木曜日といえばお昼は週に一度しかない「たん清」のたんシチューの日ではないか。たん清さんはなんと12/2の拙者の結婚式でも「ベルギービールで乾杯!」と、粋な祝電をくださったのだった、、、とは言っても、それを見てウケたのは弊社社員とわたしのアシスタントくらいだが・・・

さて、たんシチューのうまい店については、3件くらいしか知らない。

・もちろんご存知、「たん清」

木曜日限定のランチメニューでしか出てこない。一部の常連客はうまくネゴシエーションして、木曜の夜に呑みに行った時に出してもらうことが可能だったという事例はぽつぽつあるが、最近は根強いファン、リピーターが昼に来るために、夜まで残っていることは稀。13時ごろ行ってもだめということも日常茶飯事で、私も3人で行って2人分を3つに分けてもらったこともあるくらいだ。

# ね?行きたくなってきたでしょ?>h-fujitaさん

「つばめグリル」

たんシチューというメニューで食べられるのはランチのみ。夜は牛タンの赤ワイン煮という別メニューだが、ぶっちゃけこれはたんシチューとは認められない。やはりたんシチューは小さい土鍋にぐらぐらぐつぐつ!というのに限る。昼のつばめグリルのたんシチューはいつでも食べられてそこそこ安いという意味で最もリーズナブルだ。ただし、たんシチューを食べるぞ!と、よほど決意していっても、周囲のテーブルを眺めていると、ついついつばめ風ハンブルグの魅力に流されてしまうという危険な罠が待っている。(ぉぃ

「銀の塔」

しばらく行っていないが、ここは超老舗のシチュー屋で、東京の洋食屋ならではの和式のたたずまいの中で洋食をいただくという雰囲気のお店だ。3階建てなのでキャパも結構あり、ランチタイムとディナータイムの区別なく結構なお値段をとる。しかし、質・量共に至福感間違いなし。シチューのメニューは、グラタン付、野菜シチュー、ビーフシチュー、たんシチュー、ミックスシチューのような区別があり、私の意見では、ミックスシチューでいただくのがオススメ。一度オフ会をここでやるとしますか?下手な居酒屋で盛り上がることを思えば安いとは思う。ハウスワインは存在するしね。

さて、たんシチューってなんであんなにうまいのだろう。分厚い固まり肉が脂肪分をたっぷり含みつつも決して脂っぽくなく、下の上できれいにとろける。あのデミグラスソースとの相性もずば抜けていて香ばしい〜。体の芯から温まるあの手のシチューは、単純なビーフシチューやクリームシチューではあと一歩届かないだろう。矢野顕子さんの歌は好きなんだけどね。「あったかい!たんシチューをたべよーぉ♪とろんとおいしい☆彡」編を作ってもらいたいくらいだ。

気分良く食べられるたんシチューを出すお店ってないのだろうかというスレを立ち上げてみよう。上記のお店関連のご感想、また他にたんシチュー情報があればコメントくれ。

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今日、とある用件で住民票を取得しに行ったときのことだ。住民票取得用カードでいわゆる券売機のようなもので発行してもらえる。妻のためのものだったので、全員に関する続柄を記載したものを取得した。まあ、籍をいれて初めての住民票取得だったので、少しうきうき。で、ぎー、がしゃっと出されてきたものを見て、しばし凍った。おい、「子」ってなんやねん。

妻の移転&住民登録をした際に、先方の転出証明書には、妻の父親から見て「子」だとは確かに書いてあったのは思い出した。しかし、新しい住民票で「子」とはどういうことやねん。凸(–メ)で、おいおい、いくら10近く離れているって言っても、「子」なわけないじゃん、と、戸籍課を訪ねた。

「あのー、11月22日にこちらで入籍したものなのですが、どうも妻の続柄の欄が「子」になっているんです。これっておかしくないですか?」「まっ!」おいおい、なにが「ま」やねん。こっちは「ま”!」やっちゅーねん。んで、「な、な、なおしますから!」と。え?直せるの?おいおい、住民票ってそんなに簡単に直せていいのかい。まあ、戸籍関連の書類捜したらわかるんやろうけど。ぎゃあ目の前の戸籍課の皆さんが騒然と、大慌てでつくろおうとしているよ、、、

で、ものの10分ぐらいで、続柄が「妻」になったものを持って来よった。「ちゃんと直ってるんでしょうね」「ええ、台帳ごと修正しましたから」って、セキュリティを専門にする私の前でいうなよ(とほほ とにかく、住民票の個人情報というものはあっさり書き換わるものだと、人生初めて知った一日であった。

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1995年1/17午前5時46分、わたしは明石海峡の見えるアパート2Fの部屋にいた。祝日の翌朝ということもあり、いろいろと昼間にできなかったことをしていたので、徹夜に近い状態だったので、その時刻も当然起きていた。ちょうど、セミハイベッドに座って、それまでの一日の無事と、来たるべき一日の成功をふと祈った時のことだった。

聞きなれない音が近づいてきた。そのアパートの付近では時折、数百台の大暴走が繰り広げられたりもしたことがあるので(それはそれで大変な地響きがするのだが)、最初はそれなのかなと思った。ここあたりからは、すべて、思い出すと事故で車にぶつかる瞬間を思い出すときのように、一瞬を長い時間として記憶している。脳がエキサイトしているゆえのスローモーションメモリーというわけだ。

瞬間、アパートの床が大海原と化した。窓ガラスがうねり、寝室の6畳間の、向かいの壁においてある本棚から、水平に分厚い本が飛んできた。天井のサークラインは揺れすぎて引きちぎれんばかりとなった。台所で大音量と共に食器棚が倒れた音がする。大量のCDラック、カセットラック、オーディオセットがうれしくない鈍い金属音をたてている。さきほどシャットダウンしたマシンが気がかりだった、、、(当時のマシンのカーネルは1.1.80あたりからアップデートしたてだった)しかしそれどころではないシェイクに、船酔いする暇もない大海原となっていたのだ。ぼろいアパートごと、溺死するかと思った。まじでポルターガイストどころの騒ぎではない。まじでハルマゲドンかと思ったくらいだ。この間、実測ではわずか45秒。体験して覚えている内容は数時間分もあるような気がする。

あたりはまっくらであり、そしてすっかり静まり返っていた。しばらくの余震と共に、外からうめき声が聞こえる。家の中がめちゃくちゃやー、という絶句からふとこぼれたおっさんの声も聞こえる。わたしは運悪く寝巻きに着替えたところだったので、てさぐりで、ついさっきまで来ていたトレーナに着替える。ピーピー言っているUPSに電気スタンドをつけ、一時的に明るくした。電話は、、、ダメだ。とにかく部屋からでなければ、余震でつぶされてしまう。いやむしろ、このアパートはすでにつぶれているのか?1階に住んでいた老人が心配になった。ばりばりと本棚やCDやテーブルや食器棚や、その他もろもろの上を通り、玄関を蹴破る勢いで外に出た。

外に出ると、隣人たちが庭に出て、わたしが無事出てきたのを喜んでくれた。でもその30分後に1階の老人が着物をきちんと羽織って出てくるまでは、全員気が気でなかったのは後日談ならではのいい話だ。その後、およそ外が白んできて、みんなアパートから一歩離れたところでどうしようかあれやこれやと相談した。余震が怖い。何度も震度3、4で揺れた。とりあえず、車とバイクのキーは持っていた。身近な家族、友人の無事を確認するため、出かけることにした。そしてこの日から数週間、時間や日付を全く意識できない日々が始まったのだ。

同日、父は東京に出張に出ていた。騒がしさに目が覚めて見ると、戦争でもおきたのかと思ったのだそうだ。それが見慣れた神戸であり、しかも我が家があり、そこに嫁入り直前(本当に直前)の娘も含む家族がおり、電話もなにもつながらない絶望的な状況をどう考えたのだろうかと想像するだけで同情できる。会議をキャンセルし、羽田に向かうタクシーのおじさんに雑貨屋と靴屋を経由してもらい、スポーツシューズと雨具とポリ袋を調達したそうだ。

なんとか伊丹空港に降り立ったものの、身動きなんてできたものではない。地元のバスで数キロでも進み、陥没した伊丹駅の前で降り、タクシーを乗り継ぎ、尼崎から倒れた阪神高速を横目に東灘までまさに歩き、恩師の家を思い出して山に登り、自転車を借りた。恩師はまずは泊まっていきなさい、と無理やり寝かしつけてくれたそうだ。大局を見据えたすばらしいアドバイスである。コンビニ、自動販売機は略奪の被害にあっていた。三宮のセンター街は強盗の荒地と化した。その模様を父はどんな思いで、家族のこともどんなに心配してその道を進んだことだろう。とにかく知恵をしぼりまくって、電波少年さながらの大変な目をして自転車で帰ってきた父を思い出す。「おお、良太郎、つぶれてなかったか、ははは」と聞いた、あの父のことを思うと、今でも目頭が熱くなる。父とは、ああでなければならない。

# あ、まだ生きてるんですけどね(笑

これが私の「阪神大震災」「阪神淡路大震災」そして世界中で「the Great Hanshin Earthquake」に関する覚書である。この震災で得たものは真の友、失ったものはみせかけの友、両方が共存し、なかなか見分け難いというところか。ただ、わたしとて、自分にとって本当に大切な人たちのためにしか動けなかったし、わたしを本当に大切だと思ってくれる人からのみ、大切に守ってもらったように思う。早いうちに無事を確認しにわざわざ来てくれた人の一人はとても大切な存在となった。

当時のマイカーのスズキジムニーも、バイクのYAMAHA DTも、道なき道を行っては大勢の人の善意を受け、そしてそれを手から手に伝えていった戦友だ。「どうせ君は、家にも戻らないで必死で(救援に)走り回っているんだろう」とメモを入れて、オロナミンCと綿の靴下とチョコレートを東京方面から送ってくれた友人は、ここまで私のことを良くわかっている人間だとは思っていなかった人だった。駆けずり回ることを止められない私には、とてもありがたい差し入れだった。

時がたって、いろいろな人と出会い、そしてなにがしかの理由で会えなくなったり、別れたりする。人間関係は増えた分だけいいことも多いし一方で傷もつくものだ。しかし、何にせよ、結局は人と人のすばらしい結びつきでしか人間は生きられないのだ。ふるいにかけられて道をはずした人もいれば、ぎりぎりで目を覚ます人もいる。その震災が多くの人の人生に影響を与えたように、その同じ記憶が、人の人生を補正するために良い作用をすることもあろう、と願うばかりだ。

温故知新、まさにそうかもしれない。家族も人も、大切にしよう。な、そう思わないか?おれはつくづくそう思うんだ。そうしてこそ、自分の人生といえると思うのだ。それが一人としてはつたないものであればこそ、人の歴史なのだと。な、わが兄弟よ。

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今日、とあるところの帰りに、映画を見に行ってきた。別になにを見たいわけでもなかったのだが、ピーターパン2よりはK-19だろうってことで、これを観ることになったわけだ。映画のストーリーは人間関係ドラマだという話はなんとなく耳に入っていたので、私は少し楽しみにしていたが、アクションモノが好きな(愛妻の)ykは、なーんとなく楽しみという感じだったようだ。

で、まだ観ていない人もいるだろうから、なにがどうだったかは当面書かないことにするが、とても感動したとだけ言っておこう。ただし、「レッドオクトーバーを追え」などと混同しないようにね。(フフフ

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