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月別アーカイブ: 5月 2005

「コードも書かない人に言われたくはない」 正直で、エモーショナルな言葉。それゆえに、共感、反発、共に大きな反響を呼んでいます。でもこの議論、「言われたくはない」、何を言われたくないのか、なぜ言われたくないのか、もっとそこを議論したいと思いました。

発言者の三浦さんの原文では、

「だからこそ、CodeFestを日本で開く応援をしたい、推進派になった。人材育成とか、日本発のOSSとか、コードも書かない人に言われたくはない。一緒に取り組んでいる仲間を増やすこと、同じ空間と時間を共有して、フリーソフトウエアの世界を確かに広げた実感を共有すること、それこそが醍醐味ではないか。 」

人材育成と日本発のOSSが例に挙げられています。これはよく考え抜かれた指摘ですね、要するに誰と一緒に仕事をするか、そこで何を成果として作るか、これをコードも書かない人に言われたくない、と。 仲間と共感でき、そこで意欲的に成果がでることがサイコウにうれしい、と。ここは事実提示です。

すると、コードを書かない人に「言われたくない」ことがあるとすればそれは、開発組織における「共感」や、成果物への「意欲」が度外視されるケースだということでしょうか。(小飼さんの「コードだけでOSSの世界が回ると思ってんのか」は、そりゃそうなんですが突っ込みポイントはそこじゃない、という感想です。) 昨今の三浦さんのご活躍の現場で、何度となく彼自身が板ばさみに会い、まさに苦悩ゆえの発言だと連想されます。

さて、その「仲間との共感」「成果物への意欲」は、ものづくりの立場にとっての軸と、要件を出す立場にとっての軸とは表現も価値観も異なります。けれど、そこの問題を提起するのであれば、「その溝はもう埋めたくありません」と言ってしまうと、そこの問題解決による発展の可能性を低めるというリスクがありますね。 共感や意欲を共有できるかどうかは主に、外的要因よりも内的要因のほうが大きいからです。内的要因でシャットアウトされると手の出しようがなくなります。

ですから、OSS開発では、開発者もユーザも一体になってはじめて意欲的な成果物に成長する、というシナリオを目指します。そして、成功しているプロジェクトに「コードを書かないプロデューサ」がいることは珍しくありません。OSSにおいては、なおのこと、「共感」と「意欲」がシンクロしている、あるいはシンクロさせる努力が必要だというわけです。

名前を挙げれば続々と、まさにそういうことをしてきた人たちが存在します。開発者、プロデューサ両方の側面ができる人もいます。マーケティングからやってきて、一生懸命理解しようとしてきた人たちもいます。そういう人たちは、自分ではなく、開発者を中心としたマンダラート、ユーザを中心としたマンダラートの両方を持っているゆえに、各ステイクホルダーとの調整ができるし、期待されているわけです。

OSS開発のステージの大きな変化

ところで、その対立構造とは異なるところで、不思議と同じ論点があり、そこでは相互に議論がものすごく盛り上がっているという動きがあります。 それは「コードを書く人」の中での話です。

いくつもの大きなベンダーやSIerがメインフレームの人間、ミッションクリティカル系技術者を駆り出してまでオープンソース開発セントラル組織を作り、実際にOSS開発を前提に基礎開発をばりばりやっています。この動きにより、OSSとは全く別のところにいた、よく訓練された技術者に新たなステージを与え、しかもこれが少なからぬ意欲を与えることに成功しつつあります。 これらが表面化するのは時間の問題でしょう。

最近、そういう方々を公の場でインタビューする機会がありました。(吉岡さんのレポート参照のこと)「メインフレーム屋」でありながら「OSS開発プロジェクト」をどうしていこうか真剣に考えている人たちです。 彼らの主な特徴としては、OSSの「自由な開発」「自由な意思決定」という部分はよく解らない。しかし、品質や時間の観念、障害解析に関するリテラシーはものすごく高い。これまで閉塞的なところから突然やって来たという意味で仙人のような人たちです。

一方、これまでの「みんなでふもとからコツコツ上がってきた人たち」は、そうした情勢の中で組織的に参入してくる「山から下りてくる仙人」とどのように共感し、分かち合っていくのかが大きなポイントとなります。Linux Kernel MLでのLinusのカーネルダンプ問題しかり、そこには大きなエネルギーがいります。 その議論をデフォルメして言えば、企業のミッションクリティカル要件にとって必要だから、壊れたときのための機能を作らなければならない、という集団と、壊れない良いものを作りたい、そういう作りたいものを作っていこうよ、という集団の議論です。 そこは、理屈よりも「共感」が必要な世界だし、目指す成果への「意欲」の問題でもあります。

それで、両者にある見解の違いを中心に、どうするのか議論が盛り上がっていることは、OSSの発展の歴史において、これまでにないすばらしいことです。この動きはソフトウエア開発モデルの歴史に残ることだと思います。 OSSプロジェクトにおいて新規に関係者が増えていく際に、とにかく議論のテーブルがあることは必須です。

まつもとゆきひろさんがおっしゃるスローガン、「コード書きの気持ちがわからないとオープンソース・エコシステムで成功できない」というメッセージは、孤立ではなく他者との関係で自分の目的を達成したい当事者においては、全員にひとしくあてはまると思います。俯瞰的に自分のポジショニングを確認するんなら、各立場からの観点で出されるメッセージを中心にマンダラートツールで思考をはじめていくと面白いですよ。開発者、ユーザ、支援者のどこをスタートとして書いていくにしても、最終的に大きな一枚の絵に描くにはなにが必要なのか思考する助けになるように思います。

いくつかの立場を理解できる人、客観的な目撃者として指摘できる立場にいる人間は、必然的に注目を免れない傾向があります。開発者自身、あるいはプロデューサ自身、ユーザ自身の意見よりも重く見られるために奥歯にものがはさまってしまう。そういう意味では、今回の件にまつわっては、皆さんストレートで、熱いメッセージが飛び交っています。吉岡さんしかりきんねこさんしかり・・・、反応リンク集まで。発展を目指して語る以上、議論を恐れてはいけないですよね。これからも、臆せずにメッセージを出していって欲しいですね。

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