アーカイブ

月別アーカイブ: 1月 2009

年始から様々な出来事で振り回され兼ねない感があったのだが、はっとさせられる文章に出会った。ある保健教諭が書いたものだ。

・・・
保健とも教育とも全く関係のない本だが、・・・辰巳芳子さんの『あなたのために―いのちを支えるスープ』(文化出版局)である。

 実は料理の本で、題名を見て分かるとおり、様々なスープの作り方が載っている。もちろん、今晩のメニューの参考にすることもあるのだが、あまりに丁寧すぎる工程なため、慌しい毎日を過ごす私にとっては、あまり実用的意味はなく、むしろ、心を落ち着かせるための本と言ってもいい。

 ひとつひとつの材料を丁寧に扱い、ゆっくりと呼吸を合わせ、火と対峙し、なでるようにいとおしむようにスープを作っていく。そんなふうな気持ちで、私も毎日の生活を送っていきたい、と、この本を開くたびに思うのだ。特に大切にしている一節を書き出してみる。

愛につられ、無心に、
  よくなるように、よくなるようにと、
鍋中を見守る。
いつしか天は、用意のある人をつくり、
いざの時、必ず、手を差しのべる。

 保健室はなにもなくて当たり前。だからこそ、『用意のある人』でありたい、と、思っている。
edu.log :: 見てみよう!学校 – 新着学校情報

すばらしい。恐れ入りました。

エモーションとロジックが見事にマッチする情景を見させてもらった。心に促され、論理的に行動する。それは循環することがある。

だから、人は、起きている事象について情報を得ると、それが仮に自分のことでなくても、ときに一喜一憂し、ときにあれやこれやと言い、そして介入したりする。他方、そこから少し離れたところで見る立ち位置の心境は「ひとごと」と冷ややかに映るものだ。さもありなん、人のことにかまけているほど、楽ではないし暇ではないのだから。

しかし、どちらでもない人がいることを知ると救われる。

かつてレストランの厨房でバイトしていたことのある私は、そこで料理の基礎を学んだ。家族に、友人に作るときほど「おいしくなーれ、おいしくなーれ」と声をかけながらスープを作る心境は理解できるつもりだ。仕込みに時間がかかるのを承知で、タイミングを見計らい、たとえば少し火を弱め、たとえば少しの塩を入れる。

そう、腹のくくれた人の行動って、そういうことなんだよね。

少し長めの尺で動くメンタルを大切にしてみようか。

http://rcm-jp.amazon.co.jp/e/cm?t=okdt-22&o=9&p=8&l=as1&asins=4579208250&md=1X69VDGQCMF7Z30FM082&fc1=000000&IS1=1&lt1=_blank&m=amazon&lc1=0000FF&bc1=FFFFFF&bg1=FFFFFF&f=ifr

広告

ここ最近、情報科学がたまらなく面白い。いまさら認識したのかと思われる向きもあろうが、C/UNIX系プログラマー、ネットワーク構築、セキュリティ、業務プロマネ、そして技術ベンチャーとやってきたが、飽きもせずにやってきたのは、それぞれの時代の情報技術(Information Technology)の先端を垣間見ることができるというメリット以上に、情報科学(Information Science)へのあこがれだったんだ、ということ。

情報科学は、情報技術を実際に利用している者の視点から見た様々な問題を扱う。まず技術ありき、のアプローチではなく、まず問題(解決)に着眼するアプローチである。
情報科学 – Wikipedia

関心の根っこは、人が何かの情報に触れるとどういう行動になるんだろう?あるいは、ある行動は、どんな情報に刺激されたものなんだろう?というような、そういうこと。情報そのものをデータとして取り扱うことの楽しさ以上に、何か「効果」を発揮していくところに、非科学的と言ってもいい、人間の介在によるあいまいさとか、ゆらぎとか、あるいはイキオイのようなものが見られる。

これを「情報科学」と呼ぶのだと知ったときはとてもうれしかった!

科学ー何度も実験し、確証のようなものを得ていくプロセス。極めてあいまいな循環であり、ストックとフローの混沌である。これに「情報」というものをかけあわせてフォーカスしたものを情報科学というのであれば、とてつもなくエントロピーが高く感じる。マーケティングもファイナンスも組織マネジメントも、情報科学の適用だと思えば相当面白い。

情報技術的傾向として自分自身について考えるに、、システム屋ゆえだろうか、根深い阻害要因を認識した。たとえをあえて挙げると、直感を信じすぎてデータの隅々に向き合うのをめんどくさいと思うきらいがあること、また自分が仕組みに満足するとそこでおなかいっぱいになり、収束させる傾向があること。これは内部的阻害要因、メンタルブロックと認識した。

あれ?社会一般ってそういうのをどうしてるんだっけ?

そうこうするうち「社会科学技術論」というものに出会った。ここでは、社会的に「これでいい」つまり妥当だと思われることというものをどうやってコンセンサスを取るんだろう?という問題へのアプローチを考えるものだ。たとえば、公害規制、化学調味料の毒性、漏洩放射能の危険レベル、もっと身近に言えば、携帯電話の電磁波レベル、狂牛病対策検査など規制が明確に数値化されてるけど、どうやって決めてるんだろう?というような。

人体実験できるわけでも、何十年もかけて被害を見てから答えを出して良いわけでもない。ここに、科学的実証を前提とする科学の限界がある。また、問題解決のための新しい学説のデビューには、学会ごとに妥当性基準が異なるという構造的な問題がある。これを妥当性境界というんだそうだ。このボーダーが予想外に分厚く、クロストークがなかなかできない。実際、社会コンセンサスは科学者だけでは成り立たない。

だからといって、一般世論による意思決定でも不足だ。山崎はるかさんが群衆の叡智サミット2007のときに持ち出した話で、「これは食べられるかどうか」「この金属に毒性があるか」という問題を解決するのであれば、民衆には血であがなわれた実証をする以外にない。

何もしないわけにいかない。何か決めなきゃいけない。しかも妥当な結論にな!

そこで、社会的妥当性、組織的妥当性、経済的妥当性、科学的妥当性というそれぞれ無視できない妥当性境界を持ち出し、さあどうするよという激論をせざるを得ない。それには、微妙な変化を社会モニタリングすることも必要になる。定性的なものもなんとか定量化して分析したりしなきゃいけない。これは大きな課題である。全員に仕事があるから盛り上がる!

dankogai曰く、バランスを取るのは、あなたの仕事じゃなくてみんなの仕事だそうだが、バランスなんてものはぐらぐらするから面白いのだ。あれ、別に矛盾しないんだっけ。

それぞれの「妥当性」にうまい具合に重なるところがあればそこが合意点のドラフトになりうる。しかし、一見どこにも接点がなければ、エアポケットが生じ、へたすりゃ何年もほったらかしになりかねない。そこで、日本はどうしてるかって、他の先進国はどうしてるんだなんてところで決める傾向があると言われるが、他国がばりばりやってても華麗にスルーしてることもある。

実に面白いと思わない?

私としては、この曖昧な「情報科学」を追求する自分のへたくそな試行錯誤模様を書き残していかなければならないと思い、年末から、tech tech okdt(てくてくおかだっち)なるテクニカルフォーカスのブログを書き始めた。「テクニカル」と聞くとどん引きされる方も少なくないのだが、ここでは、この「情報科学」に重心を置きつつ、ソフトウェア技術からはじまり、社会科学、経営技術なんてのも意識して書いていこうと思う。

あえてはてなを使っているのは、テーマのなじみ感、読者の凝集性の高さかな。こういう話題は濃いところに放り込むのが正解。(不満もあるよ。不満はエネルギーなのでこれまた良い)。はじめたばかりなのに、予想以上にアクセスがあるものだね。

新年早々、tech tech okdtに、駅伝往路を見ながら書いたのをご笑覧あれ。これは、社会動向の数値化から何かの気づきをひねり出す情報科学の試みの本年の「書き初め」としたい。

1.走る人の増。(東洋大往路優勝おめでとう)
2.家計消費の改善
3.美味系消費は好調。カニ、マグロ
4.個人投資家急増ふたたび
5.お手軽海外旅行へ。成田利用は地方空港+ソウルへシフト。
6.自己に投資するサラリーマン
7.ホームレス支援施設の利用増。
8.全国的な高齢者の刑法犯増
9.中国株下落も、まだまだアクティブな中国人。日本への旅行者・日本定住者の増。そしてクレジットカード発行数激増。
10.地方での変動。人口シフト・議員年金・外国人

このご時世に右肩あがりなものを10個、必死こいて探してみた

もちろんツッコミどころ満載だ。視点さえあればネタには事欠かないはずだ。皆さんも楽しんでみられては。

本年もよろしくおつきあいくださいませ。