アーカイブ

Wisdom of Crowds

「確かにおっしゃるとおりなんですが、その会議ではそれを指摘できるような空気ではありませんで・・・」

「空気」はエライ。”KY”なんて甘いもんじゃない。人の倫理観よりもリクツよりも正論よりもはるかにエライ。これが集団の中で流れてる時は、まさに絶対服従の力がある。

特に日本では、この「空気」に抗うと、いわば「抗空気罪」にてその社会から完全に排除され、鼻つまみ者とされる。市中引き回しの上打ち首獄門に近い目にあう。なんてことを、1970年代にばしっと論じた、山本七平著「空気の研究」という本を読んだ。彼はユダヤ人と日本人の違いだとかいう国民性分析に強い印象のある人だ。

Amazon: 「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

折しも、先日、何年ぶりかにお伺いしたフライシュマンヒラード社の田中慎一さんと2時間くらいディスカッションをした。その中で、さんざん感覚的なエリアの可視化の話で盛り上がった際、彼が「空気って間接話法的なんですよ。そこでメッセージのレバレッジが起きてしまう。」という言葉を発した。

「ああ」と納得したよ。空気ってそういうものなんだよな。

じゃあその空気とは、どうやってできるものなのか。そう、それは、誰かが意図的に、ある「空気」が作られた例を分析すれば、それがどのような要素によって成り立っているかわかるはずだと同著は述べる。そう、「空気」を変えるとか、作れる人間はものすごい強い力を持っていることになる。これはとてつもなく利用価値があるし、かたや、大きな脅威ともなりうる。

これはマーケティングの世界でも十分に面白い。ニーズを空気として読む。風向き、なんてこの文脈では極めてうまい表現だ。ここで、インフルエンサーマーケティングなんてのは、まだどっぷりプロモーションの領域にあるように思う。実際には、どういうメッセージを出すかについての「土俵」の構築に使うべきで、これこそがまさに「空気」の構築の世界に近いのだ。

集合知とか、集団IQだとか、衆愚とか、「企業知」とか、いずれにしてもこの「空気」の支配力、影響力という観点で考えると、Wisdom of Crowdこと群衆の叡智の発生要件の中での「独立性」「拡散性」というものの位置づけを理解できる気がした。

それにしても、この「空気」に絶対的な権力を持たせておくと、個人はリスクをとらなくていいから、なにかと都合がいい。不満分子がいても、集団は大きく逸脱しないよう抑制される。嫌われそうなことは言わなくていいし、それで集団が自滅しても自分のせいではない。

農耕民族的思考では、集団でさえうまくいく。集団の「雰囲気」が習慣を強制し、農作業に人を赴かせる。そのような背景から産まれたであろう、すべてにおいて正解習得主義の日本的教育システムが、この「空気」の権力を強めていると考えられる。

しかし、残念なことに、みんながこつこつ生きてるだけで将来が保証されるという時代ではなくなってくると、実際にみんなが従ってて安心な方向性を示す「空気」があてにならなくなる。この空気が、日本の人口をアジアで唯一激減に向かわせ、消費を押し下げ、労働を辛くし、企業の成長努力を否定している。みなさん、そうしてらっしゃいます、と。

そこをばさっとかっさらっていく、「空気」を読まずにぐんぐんいく連中がいる。外資、すなわち・・・Googleしかり、Microsoftしかり。萎縮している人たちをかっさらうのは、すくんでるうさぎを捕まえるように簡単なんだろう。

いや、それも、ご時世柄、そういう空気なんだな(笑)。答えなど、どこにもないことを誰もが言いにくいから、自己啓発、メソドロジーが売れているんだろう。空気は読まなくていいとは言わないが、この「空気」を肺一杯吸って生きてる以上、そこにイノベーションを期待しちゃいけないようだ。

惰性では物事は進まない。既存のどんよりとした空気の中に飛び込んで暗中模索し、何かを取りだそうとするよりも、その空気とやらを横目に、意図的にストーリーを作っていくほうが勝っている。

人の有りようを強く意識する日本人だからこそ、ソーシャルテクノロジで自らの意思を進めるための強力なヒントを見つけられるはずだ。

ここ最近、情報科学がたまらなく面白い。いまさら認識したのかと思われる向きもあろうが、C/UNIX系プログラマー、ネットワーク構築、セキュリティ、業務プロマネ、そして技術ベンチャーとやってきたが、飽きもせずにやってきたのは、それぞれの時代の情報技術(Information Technology)の先端を垣間見ることができるというメリット以上に、情報科学(Information Science)へのあこがれだったんだ、ということ。

情報科学は、情報技術を実際に利用している者の視点から見た様々な問題を扱う。まず技術ありき、のアプローチではなく、まず問題(解決)に着眼するアプローチである。
情報科学 – Wikipedia

関心の根っこは、人が何かの情報に触れるとどういう行動になるんだろう?あるいは、ある行動は、どんな情報に刺激されたものなんだろう?というような、そういうこと。情報そのものをデータとして取り扱うことの楽しさ以上に、何か「効果」を発揮していくところに、非科学的と言ってもいい、人間の介在によるあいまいさとか、ゆらぎとか、あるいはイキオイのようなものが見られる。

これを「情報科学」と呼ぶのだと知ったときはとてもうれしかった!

科学ー何度も実験し、確証のようなものを得ていくプロセス。極めてあいまいな循環であり、ストックとフローの混沌である。これに「情報」というものをかけあわせてフォーカスしたものを情報科学というのであれば、とてつもなくエントロピーが高く感じる。マーケティングもファイナンスも組織マネジメントも、情報科学の適用だと思えば相当面白い。

情報技術的傾向として自分自身について考えるに、、システム屋ゆえだろうか、根深い阻害要因を認識した。たとえをあえて挙げると、直感を信じすぎてデータの隅々に向き合うのをめんどくさいと思うきらいがあること、また自分が仕組みに満足するとそこでおなかいっぱいになり、収束させる傾向があること。これは内部的阻害要因、メンタルブロックと認識した。

あれ?社会一般ってそういうのをどうしてるんだっけ?

そうこうするうち「社会科学技術論」というものに出会った。ここでは、社会的に「これでいい」つまり妥当だと思われることというものをどうやってコンセンサスを取るんだろう?という問題へのアプローチを考えるものだ。たとえば、公害規制、化学調味料の毒性、漏洩放射能の危険レベル、もっと身近に言えば、携帯電話の電磁波レベル、狂牛病対策検査など規制が明確に数値化されてるけど、どうやって決めてるんだろう?というような。

人体実験できるわけでも、何十年もかけて被害を見てから答えを出して良いわけでもない。ここに、科学的実証を前提とする科学の限界がある。また、問題解決のための新しい学説のデビューには、学会ごとに妥当性基準が異なるという構造的な問題がある。これを妥当性境界というんだそうだ。このボーダーが予想外に分厚く、クロストークがなかなかできない。実際、社会コンセンサスは科学者だけでは成り立たない。

だからといって、一般世論による意思決定でも不足だ。山崎はるかさんが群衆の叡智サミット2007のときに持ち出した話で、「これは食べられるかどうか」「この金属に毒性があるか」という問題を解決するのであれば、民衆には血であがなわれた実証をする以外にない。

何もしないわけにいかない。何か決めなきゃいけない。しかも妥当な結論にな!

そこで、社会的妥当性、組織的妥当性、経済的妥当性、科学的妥当性というそれぞれ無視できない妥当性境界を持ち出し、さあどうするよという激論をせざるを得ない。それには、微妙な変化を社会モニタリングすることも必要になる。定性的なものもなんとか定量化して分析したりしなきゃいけない。これは大きな課題である。全員に仕事があるから盛り上がる!

dankogai曰く、バランスを取るのは、あなたの仕事じゃなくてみんなの仕事だそうだが、バランスなんてものはぐらぐらするから面白いのだ。あれ、別に矛盾しないんだっけ。

それぞれの「妥当性」にうまい具合に重なるところがあればそこが合意点のドラフトになりうる。しかし、一見どこにも接点がなければ、エアポケットが生じ、へたすりゃ何年もほったらかしになりかねない。そこで、日本はどうしてるかって、他の先進国はどうしてるんだなんてところで決める傾向があると言われるが、他国がばりばりやってても華麗にスルーしてることもある。

実に面白いと思わない?

私としては、この曖昧な「情報科学」を追求する自分のへたくそな試行錯誤模様を書き残していかなければならないと思い、年末から、tech tech okdt(てくてくおかだっち)なるテクニカルフォーカスのブログを書き始めた。「テクニカル」と聞くとどん引きされる方も少なくないのだが、ここでは、この「情報科学」に重心を置きつつ、ソフトウェア技術からはじまり、社会科学、経営技術なんてのも意識して書いていこうと思う。

あえてはてなを使っているのは、テーマのなじみ感、読者の凝集性の高さかな。こういう話題は濃いところに放り込むのが正解。(不満もあるよ。不満はエネルギーなのでこれまた良い)。はじめたばかりなのに、予想以上にアクセスがあるものだね。

新年早々、tech tech okdtに、駅伝往路を見ながら書いたのをご笑覧あれ。これは、社会動向の数値化から何かの気づきをひねり出す情報科学の試みの本年の「書き初め」としたい。

1.走る人の増。(東洋大往路優勝おめでとう)
2.家計消費の改善
3.美味系消費は好調。カニ、マグロ
4.個人投資家急増ふたたび
5.お手軽海外旅行へ。成田利用は地方空港+ソウルへシフト。
6.自己に投資するサラリーマン
7.ホームレス支援施設の利用増。
8.全国的な高齢者の刑法犯増
9.中国株下落も、まだまだアクティブな中国人。日本への旅行者・日本定住者の増。そしてクレジットカード発行数激増。
10.地方での変動。人口シフト・議員年金・外国人

このご時世に右肩あがりなものを10個、必死こいて探してみた

もちろんツッコミどころ満載だ。視点さえあればネタには事欠かないはずだ。皆さんも楽しんでみられては。

本年もよろしくおつきあいくださいませ。

gihyo.jpの記事、「疾走するネットダイナミズム第一回 群集の叡智 ー 集合痴にならないために」にインタビューをしていただきました。ちょっと写真がどうなんだろう、と、社内関係者ではもっぱらのネタですが(汗。

その記事で言及されていたとおり、2008年5月21日に、昨、2007年11月1日に開催した「群衆の叡智サミット2007」の続編を東京、丸ビルホールで開催することになりました。CNET Japan, RBB TODAY, Markezine, gihyo.jpなどで早速報道していただいています。

群衆の叡智サミット WOCS 2008 Spring
http://techstyle.jp/wocs/2008spring/

前回はmixiのコミュニティでのやりとりに始まり、当日はライブアンケートシステムを使い、フィードバックはブログでの反応を集めたりしました。

今回は、より近くコミュニケーションを取れるように、facebook、twitterで事前・事後のコミュニケーションに拡げてみることにしました。(WOCS2008springページのCATCH UP WOCS!というコーナーをご参照)よしおかさんのご提案で、当日は、Ustream.tvでリアルタイム映像配信ができるかもしれません。品質、帯域共に不明なことも多いですのですけども。IRCのようなライブチャット機能があるので、うまくいくといいなあと思っています。

まあ、そんなことよりですね。

上記の「疾走する・・・」のインタビューで話したことの中で、記事で記載されなかったことがあります。

それは、私が「群衆の叡智」というコンセプトを特別に魅力に感じている理由。どうでもいいからネタとして落ちたのでしょうけど、自分のブログなので(自分が忘れないうちに)書きますね。

それは「人の多機能性」です。結果的に多様性、とも近いですけど、むしろ多機能性、です。

人は誰でも、多かれ少なかれ、何かの専門、得意分野、好きなことがありますよね。でも、そういう分野の知識だけで生きてるわけではない。「何かのものすごい専門」であることって、せいぜい数年の経験かもしれない。実際には、それ以外の、もっとたくさんで複雑な経験、意見、情報を取り扱って生きてきたはずで、つまりもっと言えば効果を引き起こせるポテンシャルを持っていて、はたまた自分でも全く想定外の効果を出してしまうことがあります。

情報の出し手と受け手で、そのタイミングがうまくあうと、たとえば調味料の中ぶたの「穴」を拡げ、たらこマヨネーズを発明し、見知らぬ家庭の問題を解決し、災害の被害を軽減し、話題を先行的にキャッチし、辞書ができあがり、ソフトウェアを改善し、エイプリルフール映像でペンギンが飛んでる姿に注目させたりするわけです。専門家が一生懸命やったわけではないのに、ひとりひとりの固有の、それぞれの自由な知見が、大きな変化をもたらす知恵として貢献するわけです。

専門家どうしの、オープン・イノベーションの原理よりも、参加機会が広いわけですから、もっと広い可能性を感じさせます。

これは、そもそも「人は(自分が思っているよりはるかに)多機能である」という前提があるからだと思うわけです。

他方、「集合愚」とか言われますけど、それは「群衆」の「集団化」に関する整理をすればわかりやすい。いったん集団になってしまうと、濃くなってしまい、利害関係の一致する部分では思考にまでコントロールが強くなる。そうすると、集団浅慮に陥ってしまう、というようなことを、ジャニスさんは言っていました。

でも、「わかってる」人同士で「仕事」が進むと、専門的に掘り下げるスピードが上がるという効果も見逃せない。でも、成果の妥当性は衆目にさらされることでブラッシュアップされる部分もある。まあ、いろんな評価指標があるわけです。

人の多機能性、たとえばそれぞれのアンテナがさまざまで、進歩のベクトルもいろいろで、それゆえに想定外のポテンシャルがあるんだということを感じると、うれしくなってきませんか。

たとえば、叡智を引き出すメカニズムって何?という部分。

やることそのものはシステム化、なんだけど、本質は、実に人間くさい部分にトライするということ。強く意見がある問題、あるいは答えがわかる質問を見ると、ついつい答えちゃう。仲間がいるとわかると、盛り上がっちゃう。寂しがり屋の一人好きもいる。拍手に弱く、ねたみにもろい。人が自分の中から「確からしい情報」を出す、あの瞬間は、脳の中で何が起きてるんだろう。それが大勢の中で起きると、何が起きるんだろう。

こういうのをメカニズム化するのは、いわゆるシステム、ITの話というよりは、人間を学ぶということですよね。いみじくも、先回のWOCSでは、「群衆の叡智は、thinkの集合というよりは、feelの集合という観点があるはずだ」と山崎晴可さんがおっしゃっていました。実は、事前のブレストで出た話だったんですけど、本番でのそのトークに大勢が納得。「いや、thinkの集合もあるはずだ」と山口さん。「マズローの5段階欲求」との関係図は、松隈さんのスライドにも、福岡さんのスライドにもありました。いいねえそういう議論。

で、今回も、リアルにどんな方法があるのか、いろんなところのエッジ観点をしゃべれる人が集まってくださいました。そっから見える景色はどう?

どんなコンセプト議論が飛び出すやら。とても楽しみです。

来場者のコメント参加システムもあります。ライブ討論会の温度が上がりますよ。ケイタイでオーディエンスの意見を集め、スクリーンで可視化。こちらは、受講手続きがすっかり完了した皆様には事務局からお知らせしているようです。チェックしておいていただければと思います。

# 連休突入ですけど、お申し込みはお早めに。(宣伝

群衆の叡智サミット WOCS 2008 Spring
http://techstyle.jp/wocs/2008spring/

紅白の司会に抜擢された笑福亭鶴瓶師匠曰く
「私よりね、もっと年上の先輩方が喜んでくれましたよ。よかったなぁ、って。」

事象の価値判断というのは相対的なものだ。面白いのは、成果を出した人でさえ、直接その成果の価値を理解するのが難しいことがあることだ。そこで、「客観」とは良く言ったもので、オーディエンスがバリュードライバーになるわけだ。その役割たるや計り知れない。

本人の価値判断が甘いのはなぜだろう。紅白司会者の大抜擢であれ、ソフトウェア開発成果であれ、事業業績であれ、とにかくなにがしかを形にしたとき、まさに当事者であるゆえに、本人はいわばゴールラインで息切れしてぜえぜえいってて、疲れてるわけ。

しかし、その状態の価値については、客観判断のほうが明確。それゆえに本人にしてみれば、自分にはあまり実感がなく、むしろ周りのほうが喜んでくれているように見えるんだなあ。

みんなの笑顔は案外楽しい。

一方、喜んでくれる人たちは応援こそすれ、自分で価値を産み出したわけではない。実のところはそれぞれの思惑にしたがって喜んでおり、温度もさまざま。

それでも、両方が合わさると、つまりポジティブフィードバックが本人に伝わるとはじめて価値が見えやすくなる。客観情報はまとまって集合知として理解すると強いフィードバックになる。「こんなに」「周りが」喜んでくれるんなら、やってよかった、また次も行っちゃうか、とモティベートされる。

そうだからと言って、当事者のモチベーションが常に外部にあるわけではないよね。誰か他の人のためにやっているというのとは、またちょっとニュアンスが違うよね。思うに、それは喜ぶ顔を見たい自分のためだろう。価値が形になって見えやすくなるプロセスがたまらないわけだ。

そうか、それこそがfighter on railsか。

そうしてまた、群衆として叡智を創出してしまうのか。

まー、急な展開でしたね。

9月24日にtwitterで「サミットやりたい」と言い出し、コミュ含め、いろんな人が急激に巻き込まれてくださった「群衆の叡智サミット2007」、無事に終わりました。

早速ITProで報道してくださっています。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20071102/286251/

来場者、パネラーの皆さん、セッションの内容や、そこから得た気づきみたいなものがあれば、そういうフィードバックはぜひみなさまの日記やブログでお気づかないなく忌憚のないやつをどうぞ。一つ一つが個の知恵による判断であり、その全体を俯瞰すると、それは見る人にとって相対的な価値のある集合知ですから。

すでに書いてくださっているみなさまありがとうございます。

過去30日間に書かれた、群衆の叡智サミットを含む日本語のブログ記事
テクノラティ グラフ: キーワード「群衆の叡智サミット」に関するグラフ

私も、新しい気づき、新しい意見がたくさん生まれましたのでそれは追って書きます。

当日、セッションの満足度アンケートはとりませんでした。聴衆が全体としてどう感じたかはライブなんですからステージ上にいたらわかります。公開討論会という枠組みは、魂のある主体が良いスタイルという枠組みをつくり、そこで個性の、意見の、感情の衝突が何かを起こし独特のfeelが醸成される。それをfeelして共鳴する。ほら、feedbackってギターの共鳴の話でしょ?(w

そう、たとえば、あれは壮大な(?)パネラーの「放牧」。羊が、牛がかわいかったかどうかアンケートをとる動物園はないでしょう。あの羊はおとなしかった、とか、暴走してて怖かった、とかそういうことは個人個人が思うことであって、それは自由です。

あるいは、たとえば、ソリストばっかり集めたライブジャムセッションだって話。ソリスト同士だからうまくいかないか?いやいや、外部性が高いですから。おとなしいソリストもいれば、ロングソロを決めるソリストもいる。1曲90分が短く感じられるのはそれだけバリエーションが豊富だということでしょう。

よーするに、評価はどうやったってオープンになる。もう、群衆の叡智サミットがどうだったか、なんてことは、いろんなブログにたくさん書いてある。全体的に長文なのは、あーもう!ってフラストレーションが長文を生んだのかもしれない。すでに、ものづくりをはじめちゃった人を何人も聞いています。


とすると、来場者まで巻き込んで壮大な放牧作業をライブでやっちゃったことになります。バランス、シナリオ、妥当性、その手のものは期待や問題意識との相対価値ですよね。放牧のための広めの柵はあっても、その中の芝生の位置やポジションなど「こうあるべき論」で構成されていては負けです。

だから、うまい・へたなんて評価は私にはナンセンスなんですが、プラスを目指すためのご意見は共鳴としてプラスに使いますのでありがたく頂戴します。だってもっと面白くしたいからね;-p

ともあれ、パネラーも聴衆も、個々の外部性と問題意識の高さ、利害関係の低さ、そして発言の自由さというパラメータのどれもがとてもいい感じだった。そうそう、珠玉のパネラーは私が呼んだというより、集まったんです。しかも手弁当。各々、とってもコストがかかっているはずです。プライスレスな価値だと思います。


リアルな公開討論会の価値の源泉というものがあるとすれば、それは、意外性であり、共鳴であり、ときに共感であり、熱さが直に感じられることでしょうね。脱線、暴走、拡散、そしてどこかでコンセンサスというブレークスルーポイントが決まる。こういうライブ感にあるんじゃないでしょうか。これだからやめられない。

閑話休題。やっと本題です。

あえて「放牧」でも「ジャムセッション」でもない部分があるとすると、それはバックエンドの運営です。

運営のほうはめちゃくちゃ仕込んでくれました。弊社の天才CFOの吉田のおかげ、もともとこういうことは慣れていない総務部門のおかげ、そしてデザイナーからプログラマーまで全員総出でやりました。「codeなにがし」のトッププログラマは、当日はコーヒー担当。まさに「coffee server」で、「okdtさん、クライアントアクセス数にはまだ余裕があります」なんて感じでしたね(笑 

Linuxコミュニティで古い付き合いのまちのさんも、あかねさんも手伝ってくれた。司会の船橋さんも、集計システムの岡元さんもサイコウの演出でした。みんなそれぞれプロなのに、つい「面白そう」って言っちゃったばかりに手伝わされて。

数々の人が母体企業を動かしてたくさん好意的な協力をしてくださった。いや、一緒にいいものにしよう!という気合でコミットしてくださった。バジェット面でも、運営の下支えという面でも、今後の展開を考えても、テックスタイルだけでやっちゃいけないイベントでした。気持ちよく協賛・後援に乗ってくださった企業・団体、メディアには特に感謝を申し上げたい。

あの「場」を支えるメンバーは大変だったと聞いています。もともと私は舞台裏仕事の経験は少なくないので、リアルにわかります。でも、そこでなんとかできるには、そうする価値があったと思えたから最後まで笑顔でがんばってくれたんだと思うんです。ライブ会場から漏れ聞こえるアツイ「音」に動かされて、不都合な状況の変化への対応を笑顔で走り回ってやってくれた。

次はもっと違うことをやることになりそうだけど、来春にはまたやろうって言ったとき、うれしそうな顔をしてくれたスタッフに、開催のための告知から後片付けまで骨折ってくださった協賛・後援の裏にいらっしゃる皆様に心から感謝申し上げたい。

ほんとうに、ありがとうございました。

アウトソーシングならぬ、クラウドソーシングの話。

Wikipedia、「Crowdsourcing」より
http://en.wikipedia.org/wiki/Crowdsourcing

Crowdsourcing is a neologism for the act of taking a job traditionally performed by an employee or contractor, and outsourcing it to an undefined, generally large group of people, in the form of an open call. For example, the public may be invited to develop a new technology, carry out a design task, refine an algorithm or help capture, systematize or analyze large amounts of data.

USにはCrowdsourcing企業が着々と増えている。

不特定の群衆による、分散された知見や、あるいは労働力によって何がしかの成果を目指すものなのだけど、Crowdsourcingのポイントは主に企業が主体になり、いいだしっぺとファシリテーションを受け持つということだ。多くの解説に「安く済ませる」という言葉が散見されるが、それよりも群衆の持つポテンシャルを企業が利用するというところに着目することが重要で、インセンティブを定義しなければならないし、それは有形であれ無形であれ協力者の納得のいくものでなければならない。

観察者の観点では、Wisdom of Crowdsにはいくつかの理解すべきコンセプトがある。

1.大集団をひとつの「個」に見立てて、なにかのアクションに対する行動や変化を観察することにより活用を図るコンセプト(視覚に着目)

2.大部分の人たちにはスルーされるだろうが、中にいるはずの関心の高い人の個別の”協力”を、できればたくさん引き出そうとするコンセプト(手足に着目)

3.大多数の人たちの自発的に出される意見を集約し、それにより新たなリスクやポテンシャルを探ろうというコンセプト(口に着目)

相互に必ずしも排他的なものではなく、あくまでコンセプトと表現したのだが、成果の演出において重心がどちらにあるのかはそれぞれのサービスを見れば考察しやすい。

1.はソーシャルフィルター(social filter)に使われることが多く、それらはdel.icio.usやはてなブックマークなどのソーシャルブックマークなど、いわゆる群衆による分類すなわちフォークソノミー(folksonomy)として出現している。RSSリーダーでの登録者数にもいくらか観察できるかもしれない。いずれにしてもニッチなテーマに至るまでその動向が見えるため、単なる人気投票的な「ランキング」よりも興味深い結果を出している。

2.はLinuxをはじめとするオープンソース、Wikipedia、またFlickrのような画像アップロードサイトも見られる現象で、いずれも関心のある人同士の積極的な集まりによる協業である。ピアプロダクション(peer production)と言われる。これはルールを決めるところがキモで、それさえコンセンサスがとれれば比較的ファシリテーションしやすい。

ただし、個別の成果の良し悪しが個々のユーザにゆだねられ、それを是正させる働きをするときに見られる機能は、それはsocial filterともいえる。オープンソースにせよ、ウィキペディアにせよ、それらは知見の高い個人による「目」の集積としての機能をアテにしている。

3.は、消費者によるメディア、CGMといわれる。主にブログだ。これは端的に言って、自分の欲求とツールの機能がうまく出会うとブレイクしていくものであり、主に、誰かにファシリテーションされて書くものというよりは、おそらくは特定の人、あるいは仲間を想定して発信される目的で自発的に行われている感覚だ。

ここで、それぞれのコンセプトと、日本人の特性を考えたとき、日本社会の特異性をどうやって活かせるだろうか。

はてなブックマークは技術者にウケすぎていて「ネットイナゴ」と揶揄されるにしても、依然、動きは活発だ。del.icio.usなんてのは英語のサイトなのに、ブックマークには日本語が散見される。価格コム、じゃらんなどのクチコミもそう。評価好きな日本人にはsocial filter機能はもってこいなのかな、と思われる。

ただ、流行っているものが売れるのが現在の日本の市場であり、social fiterを演出している側とそれに乗らされている側の格差や、その影響度は過度に大きい気がする。つまり、うまく火さえつけば瞬く間に群衆は自分の意見としてというよりも、群衆の意見に相乗りする形でノリノリになってしまう。

次に、peer productionはどうだろうか。ウィキペディアは日本語が存在するし、良くも悪くもアクティブではあるようだ。オープンソースは・・・。日本人の中には海外のプロジェクトに参画して何かを作り上げるのに大きな働きをしている人は存在する。しかし、日本人のコミュニティでは贔屓目に言っても元気なほうではない。仲間社会、既得権益社会で構成される日本人の特徴がこの分野での成果に大きく出ているようだ。

ただし、人が困っているときの動きは秀逸だ。オープンソース・コミュニティについて言えば日本はユーザ会ばかりだが、その多くは初心者の質問を扱っている。Q&AサイトのOKwaveや、プログラマのためのcodeなにがしでも、質問されるととても早く答えちゃうのだ。

仲間うちのネットワーク効果や、互助関係のつながりがめちゃくちゃ大きく作用するわけだ。

では、ひとりひとりの発想や独創性は発揮されないのか?そういうのは日本人の不得意とするところではないか、と言いたいところだ。しかし、世界中のブログでもっとも多く使われている言語は日本語だそうだ。

発信はキライじゃないけどツール次第。もののカラクチ評価はとても好き。でも、みんなが好きなものは私も好き。一時間待ってもクリスピー・クリーム・ドーナツは買いたいし、なんと言われても中国野菜は食べない。でも、狂牛病騒ぎで一度は廃絶した和牛はおいしい。亀田はおもしろかったり、ひどいやつだったり、かわいそうなやつ。電通がどんだけSecond Lifeを宣伝しても、「セカンドライフ」とは老後ののんびりした暮らしのことであり、それ以上の魅力は感じられない。

・・・悩ましい。

本日の仮説。

社会的なつながりに関する欲求(マズローでいうところの三段階)がとても強い日本人は、群衆の叡智として日本人だけをグルーピングした場合、その属性はあまり拡散しにくいし、大衆の意見を尊重することによって自分を守る。つまり、マーケティングデータはとりやすいが、ポテンシャルは取りにくい。

しかし、集団の中にいるニッチなスペシャリストを引っ張り出してくることにひとたび成功すれば、ゼネラリストタイプな専門家を養成して大衆に向かってメッセージを出すよりもはるかに高いポテンシャルがある。

彼らは職業的専門家だとは限らず、主婦だったり、10代の若者だったりするが、思わず火付け役に回ることがあり、その効果も計り知れない。ただし、彼らは求められれば口を開くが、自分からは積極的に口を開くとは限らない。いや、匿名の場合にはどこかしら変わった人格で饒舌になったりする。

そうすると、どこに軸足を置いたらよいのだろう。

最初のコンセプトである「social filter」で単なる動きを見せてもらうタイプのクラウドソーシングは新たな価値を生むとは限らない。せいぜいネタのシェアにより、アクセスランキングを加速させているだけになる。

むしろ、その中にいる個人に潜在している新たな気づきを発掘することに取り組む必要がある。これは欧米社会では大衆迎合を跳ね返す文化のため、とても簡単なことに見えるのだが、日本では同じ方法ではとても難しい。

アイデアを提供しやすいわかりやすいツールと、それを出してくれるインセンティブを明確にすること、そうする仲間をいかにして作り上げるか。それには単に欧米からコピペしたようなツール、WEBサイトではだめだ。そこから日本人ならではのファシリテーションを試行する必要がある。

「日本におけるクラウドソーシング」は、脳みそに汗をかかなきゃいけないトピックだ。

群衆の叡智サミット2007まで、あとわずか。


株式会社テックスタイルは、11月1日木曜日に東京丸ビルホールにて「群衆の叡智サミット 2007」(Wisdom of Crowds Summit)を開催いたします。

WEB開発にかかわる技術者、またマーケティング戦略・ブランド戦略担当者、大学・研究機関の研究者、および企業経営者の皆様を対象としています。

http://techstyle.jp/wocs/

2007年から始まる10年の情報経済は「群衆の叡智」によって大きく変革するといわれています。ジェームス・スロウィッキー著「みんなの意見は案外正しい(原題:Wisdom Of Crowds)」に著されている数々の興味深い事実は、一部の「権威」や「専門家」による品質維持の枠組みを、「群衆の叡智」が上回ることを示しました。

しかし、それはどれほど新たな情報パラダイムをもたらすのでしょうか。いや、すでにもたらし始めているのでしょうか。消費者、社員、コミュニティの意見を集約して、正しい意思決定に活用できるほどの精度を期待できるのでしょうか。群衆の意見を「叡智」に変える「目」とはいったいどのようなものでしょうか。

このような数々の疑問を受け、私たちは、数々の企業・団体様のご支援のもと、来る11月1日(木)、WEB開発にかかわる技術者、マーケティング・ブランド担当者、大学・研究機関の研究者、および企業経営者の皆様を対象としたシンポジウム『群衆の叡智サミット2007』を開催し、公開討論会の形をとることといたしました。

セッションは3つあり、WEBの世界から見られるコンセプト、オープンソースをはじめとするソフトウェアに関する問題、そして最後には予測市場(Prediction Market)の話にまで切り込みます。この話題の論客として、珠玉のパネラー陣が集まりました。どうなることやら、わくわくしています。

座席数には限りがありますが、お誘いあわせの上、ふるってご参加ください。

http://techstyle.jp/wocs/