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月別アーカイブ: 11月 2007

「ミシュランガイド東京」がバカ売れだそうだ。何件も本屋を周る人たちが続出。専門家によるオピニオンの典型で、群衆による選択の機能とは遠いところにあり、むしろ群集心理の機能によって話題になっている。梅田さんの力作「ウェブ時代をゆく」と近いタイミングでこれが来たのもこれまた妙を感じる。

買い手の欲求とこのガイドの機能を考えるに、それはアブラハム・マズローの欲求段階説の3段階目あるいは4段階目に対する期待を含んだものだろう。その源泉は主に話題性にあって、それらしい専門家の観点(スコープ)を垣間見れる期待、そして「プロの視点」を「マスの話題」に持ってこれる期待だ。自分にすでにオピニオンや情報源が十分あるかどうかは関係ない。

極論すれば、何件も本屋をまわってミシュランガイドを買う心理的欲求と、クリスピークリームドーナツを2時間かけて並んで買う心理的欲求は同じだ。

ここで問題は、提供者の違いだ。ミシュランガイドは実際の提供者ではなく、ポインターの一覧だというところで、それがもたらすサービス業界そのものへの影響がある。クリスピークリームドーナツは薄利多売式のマス向けサービスを前提としているが、ミシュランガイドが示すプレミアムなサービスはそうではない。ガイドに掲載されてしまった店すなわち、専門家が認めた、”チェケラ”なサービスが掲載されており、それに導かれて大衆が電話をかけ、押し寄せていく。

プレミアムなサービスを提供する店というのは、プレミアムであるゆえに、対象はきわめて限定的なのだ。客が店を選んでいるのではない。店が客を選んでいるのだから。

だから、掲載のみならず調査さえ拒否した店も多いと聞くのは驚くに値しない。ミシュランガイドに掲載された「優秀」な店は、これまでの「優秀」な客を失いかねない。掲載される店に、果敢にもあえて拡散性の高い人たちの評価を受ける狙いがあるとしても、評価の集約方法がないためにそれは機能しない。

リスクのほうが大きい場合、ガイドによってマスが殺到するのをいやがる店は、かようなマス・アピールにつながる活動を一層拒絶するようになる。そのような店は、マス・マーケティング以外の方法で粛々とぴったりの客を得続けられる。だから、「本当にプレミアムな店はミシュランガイドには載らない」という流れだ。皮肉なことに、この新しいミシュランガイドの出現が、ガイドそのもの存在を明確に脅かす流れを加速させることになりはしまいか?

これぞ、「イノベーションのジレンマ」ならぬ「ミシュランガイドのジレンマ」だ。

タイヤも大して擦り減らない、駐車場も潤沢にない、この狭い東京に限定したミシュランガイドは矛盾を抱えてスタートだ。

どうするんだろう?

ガイドそのものの評価を日本で永続的に維持すべく、これまで☆を受け入れた店に☆を増減して提供し続けるとか、「発掘力」で戦って新たな話題づくりに奔走するとかはそれなりにウケルとしても、それではサービス業者は劇場の見世物にされているだけ。それでもって、「ミシュランガイドすげー」ってマスマーケティングをやるなんて笑えない話だ。

わかりやすい手立てのひとつはとても単純で、はっきり言えば、もともと特定顧客向けに限定して発行された歴史のあるミシュランガイドは、やはり大衆の関心を引かないところでこそ価値を維持しやすいのだ。

外国人旅行者に不親切な現在の日本の環境では、英語版ペーパーバックが出版される意義は日本語版のそれとは大きく異なっていると思われる。日本語を話せない客はお断りという骨太の寿司屋が掲載されているのも、むしろ親切だ。次号から英語版しか出さないということでどうだろう。

いや、まてよ、、、

ミシュランガイド東京の隠された意図(hidden intention)は、話題性を増せば増すほど、逆に掲載されないもっと多くのプレミアムサービスが守られるということなのか?!

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紅白の司会に抜擢された笑福亭鶴瓶師匠曰く
「私よりね、もっと年上の先輩方が喜んでくれましたよ。よかったなぁ、って。」

事象の価値判断というのは相対的なものだ。面白いのは、成果を出した人でさえ、直接その成果の価値を理解するのが難しいことがあることだ。そこで、「客観」とは良く言ったもので、オーディエンスがバリュードライバーになるわけだ。その役割たるや計り知れない。

本人の価値判断が甘いのはなぜだろう。紅白司会者の大抜擢であれ、ソフトウェア開発成果であれ、事業業績であれ、とにかくなにがしかを形にしたとき、まさに当事者であるゆえに、本人はいわばゴールラインで息切れしてぜえぜえいってて、疲れてるわけ。

しかし、その状態の価値については、客観判断のほうが明確。それゆえに本人にしてみれば、自分にはあまり実感がなく、むしろ周りのほうが喜んでくれているように見えるんだなあ。

みんなの笑顔は案外楽しい。

一方、喜んでくれる人たちは応援こそすれ、自分で価値を産み出したわけではない。実のところはそれぞれの思惑にしたがって喜んでおり、温度もさまざま。

それでも、両方が合わさると、つまりポジティブフィードバックが本人に伝わるとはじめて価値が見えやすくなる。客観情報はまとまって集合知として理解すると強いフィードバックになる。「こんなに」「周りが」喜んでくれるんなら、やってよかった、また次も行っちゃうか、とモティベートされる。

そうだからと言って、当事者のモチベーションが常に外部にあるわけではないよね。誰か他の人のためにやっているというのとは、またちょっとニュアンスが違うよね。思うに、それは喜ぶ顔を見たい自分のためだろう。価値が形になって見えやすくなるプロセスがたまらないわけだ。

そうか、それこそがfighter on railsか。

そうしてまた、群衆として叡智を創出してしまうのか。

まー、急な展開でしたね。

9月24日にtwitterで「サミットやりたい」と言い出し、コミュ含め、いろんな人が急激に巻き込まれてくださった「群衆の叡智サミット2007」、無事に終わりました。

早速ITProで報道してくださっています。
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20071102/286251/

来場者、パネラーの皆さん、セッションの内容や、そこから得た気づきみたいなものがあれば、そういうフィードバックはぜひみなさまの日記やブログでお気づかないなく忌憚のないやつをどうぞ。一つ一つが個の知恵による判断であり、その全体を俯瞰すると、それは見る人にとって相対的な価値のある集合知ですから。

すでに書いてくださっているみなさまありがとうございます。

過去30日間に書かれた、群衆の叡智サミットを含む日本語のブログ記事
テクノラティ グラフ: キーワード「群衆の叡智サミット」に関するグラフ

私も、新しい気づき、新しい意見がたくさん生まれましたのでそれは追って書きます。

当日、セッションの満足度アンケートはとりませんでした。聴衆が全体としてどう感じたかはライブなんですからステージ上にいたらわかります。公開討論会という枠組みは、魂のある主体が良いスタイルという枠組みをつくり、そこで個性の、意見の、感情の衝突が何かを起こし独特のfeelが醸成される。それをfeelして共鳴する。ほら、feedbackってギターの共鳴の話でしょ?(w

そう、たとえば、あれは壮大な(?)パネラーの「放牧」。羊が、牛がかわいかったかどうかアンケートをとる動物園はないでしょう。あの羊はおとなしかった、とか、暴走してて怖かった、とかそういうことは個人個人が思うことであって、それは自由です。

あるいは、たとえば、ソリストばっかり集めたライブジャムセッションだって話。ソリスト同士だからうまくいかないか?いやいや、外部性が高いですから。おとなしいソリストもいれば、ロングソロを決めるソリストもいる。1曲90分が短く感じられるのはそれだけバリエーションが豊富だということでしょう。

よーするに、評価はどうやったってオープンになる。もう、群衆の叡智サミットがどうだったか、なんてことは、いろんなブログにたくさん書いてある。全体的に長文なのは、あーもう!ってフラストレーションが長文を生んだのかもしれない。すでに、ものづくりをはじめちゃった人を何人も聞いています。


とすると、来場者まで巻き込んで壮大な放牧作業をライブでやっちゃったことになります。バランス、シナリオ、妥当性、その手のものは期待や問題意識との相対価値ですよね。放牧のための広めの柵はあっても、その中の芝生の位置やポジションなど「こうあるべき論」で構成されていては負けです。

だから、うまい・へたなんて評価は私にはナンセンスなんですが、プラスを目指すためのご意見は共鳴としてプラスに使いますのでありがたく頂戴します。だってもっと面白くしたいからね;-p

ともあれ、パネラーも聴衆も、個々の外部性と問題意識の高さ、利害関係の低さ、そして発言の自由さというパラメータのどれもがとてもいい感じだった。そうそう、珠玉のパネラーは私が呼んだというより、集まったんです。しかも手弁当。各々、とってもコストがかかっているはずです。プライスレスな価値だと思います。


リアルな公開討論会の価値の源泉というものがあるとすれば、それは、意外性であり、共鳴であり、ときに共感であり、熱さが直に感じられることでしょうね。脱線、暴走、拡散、そしてどこかでコンセンサスというブレークスルーポイントが決まる。こういうライブ感にあるんじゃないでしょうか。これだからやめられない。

閑話休題。やっと本題です。

あえて「放牧」でも「ジャムセッション」でもない部分があるとすると、それはバックエンドの運営です。

運営のほうはめちゃくちゃ仕込んでくれました。弊社の天才CFOの吉田のおかげ、もともとこういうことは慣れていない総務部門のおかげ、そしてデザイナーからプログラマーまで全員総出でやりました。「codeなにがし」のトッププログラマは、当日はコーヒー担当。まさに「coffee server」で、「okdtさん、クライアントアクセス数にはまだ余裕があります」なんて感じでしたね(笑 

Linuxコミュニティで古い付き合いのまちのさんも、あかねさんも手伝ってくれた。司会の船橋さんも、集計システムの岡元さんもサイコウの演出でした。みんなそれぞれプロなのに、つい「面白そう」って言っちゃったばかりに手伝わされて。

数々の人が母体企業を動かしてたくさん好意的な協力をしてくださった。いや、一緒にいいものにしよう!という気合でコミットしてくださった。バジェット面でも、運営の下支えという面でも、今後の展開を考えても、テックスタイルだけでやっちゃいけないイベントでした。気持ちよく協賛・後援に乗ってくださった企業・団体、メディアには特に感謝を申し上げたい。

あの「場」を支えるメンバーは大変だったと聞いています。もともと私は舞台裏仕事の経験は少なくないので、リアルにわかります。でも、そこでなんとかできるには、そうする価値があったと思えたから最後まで笑顔でがんばってくれたんだと思うんです。ライブ会場から漏れ聞こえるアツイ「音」に動かされて、不都合な状況の変化への対応を笑顔で走り回ってやってくれた。

次はもっと違うことをやることになりそうだけど、来春にはまたやろうって言ったとき、うれしそうな顔をしてくれたスタッフに、開催のための告知から後片付けまで骨折ってくださった協賛・後援の裏にいらっしゃる皆様に心から感謝申し上げたい。

ほんとうに、ありがとうございました。