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「確かにおっしゃるとおりなんですが、その会議ではそれを指摘できるような空気ではありませんで・・・」

「空気」はエライ。”KY”なんて甘いもんじゃない。人の倫理観よりもリクツよりも正論よりもはるかにエライ。これが集団の中で流れてる時は、まさに絶対服従の力がある。

特に日本では、この「空気」に抗うと、いわば「抗空気罪」にてその社会から完全に排除され、鼻つまみ者とされる。市中引き回しの上打ち首獄門に近い目にあう。なんてことを、1970年代にばしっと論じた、山本七平著「空気の研究」という本を読んだ。彼はユダヤ人と日本人の違いだとかいう国民性分析に強い印象のある人だ。

Amazon: 「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

折しも、先日、何年ぶりかにお伺いしたフライシュマンヒラード社の田中慎一さんと2時間くらいディスカッションをした。その中で、さんざん感覚的なエリアの可視化の話で盛り上がった際、彼が「空気って間接話法的なんですよ。そこでメッセージのレバレッジが起きてしまう。」という言葉を発した。

「ああ」と納得したよ。空気ってそういうものなんだよな。

じゃあその空気とは、どうやってできるものなのか。そう、それは、誰かが意図的に、ある「空気」が作られた例を分析すれば、それがどのような要素によって成り立っているかわかるはずだと同著は述べる。そう、「空気」を変えるとか、作れる人間はものすごい強い力を持っていることになる。これはとてつもなく利用価値があるし、かたや、大きな脅威ともなりうる。

これはマーケティングの世界でも十分に面白い。ニーズを空気として読む。風向き、なんてこの文脈では極めてうまい表現だ。ここで、インフルエンサーマーケティングなんてのは、まだどっぷりプロモーションの領域にあるように思う。実際には、どういうメッセージを出すかについての「土俵」の構築に使うべきで、これこそがまさに「空気」の構築の世界に近いのだ。

集合知とか、集団IQだとか、衆愚とか、「企業知」とか、いずれにしてもこの「空気」の支配力、影響力という観点で考えると、Wisdom of Crowdこと群衆の叡智の発生要件の中での「独立性」「拡散性」というものの位置づけを理解できる気がした。

それにしても、この「空気」に絶対的な権力を持たせておくと、個人はリスクをとらなくていいから、なにかと都合がいい。不満分子がいても、集団は大きく逸脱しないよう抑制される。嫌われそうなことは言わなくていいし、それで集団が自滅しても自分のせいではない。

農耕民族的思考では、集団でさえうまくいく。集団の「雰囲気」が習慣を強制し、農作業に人を赴かせる。そのような背景から産まれたであろう、すべてにおいて正解習得主義の日本的教育システムが、この「空気」の権力を強めていると考えられる。

しかし、残念なことに、みんながこつこつ生きてるだけで将来が保証されるという時代ではなくなってくると、実際にみんなが従ってて安心な方向性を示す「空気」があてにならなくなる。この空気が、日本の人口をアジアで唯一激減に向かわせ、消費を押し下げ、労働を辛くし、企業の成長努力を否定している。みなさん、そうしてらっしゃいます、と。

そこをばさっとかっさらっていく、「空気」を読まずにぐんぐんいく連中がいる。外資、すなわち・・・Googleしかり、Microsoftしかり。萎縮している人たちをかっさらうのは、すくんでるうさぎを捕まえるように簡単なんだろう。

いや、それも、ご時世柄、そういう空気なんだな(笑)。答えなど、どこにもないことを誰もが言いにくいから、自己啓発、メソドロジーが売れているんだろう。空気は読まなくていいとは言わないが、この「空気」を肺一杯吸って生きてる以上、そこにイノベーションを期待しちゃいけないようだ。

惰性では物事は進まない。既存のどんよりとした空気の中に飛び込んで暗中模索し、何かを取りだそうとするよりも、その空気とやらを横目に、意図的にストーリーを作っていくほうが勝っている。

人の有りようを強く意識する日本人だからこそ、ソーシャルテクノロジで自らの意思を進めるための強力なヒントを見つけられるはずだ。

某サイトで見かけてコメントしたこの記事「本当に転職に有利なのか? 日本の社会人大学院事情」。

あらあら、タイトルに「本当に」とかつけると、「そうでない例」に着目するわけだから、その路線で終えちゃうと、そこはかとなく浅い。タイトルと結論だけで、あからさまなバイアスが見えておしまい。中身は案の定、タイトルの「転職に有利なのかどうか」という問題にすら根拠(複数の客観的事実、あるいは論証済みのものが「根拠」の最低条件とすると)がない単なる意見の羅列。肝心の、就職状況における需要側の欲しいスキルセットと訓練の中身のマッチングには残念ながら切り込んでおらず、筆者のイメージとお仲間の世界。

So what? だからどうなの、という部分は読者が考えろというメッセージなのかな。

どうせ不況産業なんだからさー、そんなに浅い意見ならスルーしとけばって感じ。あるいは、タイトルが「本当に」はじまりで、結論が「本当だった!」なんてオチの記事だったらむしろ話題として面白いのに・・・。

専門資格が転職に有利かどうかという問いかけだけど。

「有利」って何をもって言うのかな。就業をかけた全体的な競争力、ではないでしょう。年俸?職責? 全体的就職難の中、資格が守備範囲を拡げるって意味でもないよね。

受け入れ側の募集に資格が明示されているとしましょう。薬剤師にしても医者にしてもネットワークスペシャリストにしてもPh.Dにしてもlawyerにしてもmbaにしても。それぞれの資格は就ける職種をむしろ狭めてしまう。さらに、そこでその資格ホルダー同士での取捨選択になる。それぞれにさらに熾烈な競争ができちゃうわけ。

そこが、資格など、足の裏の米粒だと言われるゆえんでしょうよ。つまりは、そのフィールドでの戦いがあることを度外視して、ラベルのために資格とってもしょうがないじゃん?ということ。

ここで間違えてはいけないのは、専門教育や訓練に、職業人として意味があるのかどうかとは別問題だということ。

たとえば、社会人大学なり大学院は、経験ありきで職能を伸ばす枠組みだろう。なにがしかの職業で専門をやると決めるんなら、成り行きの現場でのたたき上げに依存するより、どっか行ってちゃんと訓練するほうが確実に早い。ネットワーク効果も度外視できない。

だから、会社の研修だろうが、企業派遣の大学院だろうが、自腹で突撃だろうが、訓練の結果のラベルではなく訓練プロセスに注目してやれるやつにとっては、そういうものを「梃」にして、何倍も成長する確率を上げられる。

そういう行動特性が異なる人材に、進歩や変化のスピードへの取り組み方の違いがあると考えるのは、はずしてはいない。あとは、需要サイドにマッチするかどうかの問題で、それは転職競争力とは関係ない。

いずれにしても、訓練なんてそれぞれの個人の好みと直観に大きく依存する相対的な価値で、ゆえに「王道」を定義する必要すらない。

進歩と変化に関心があるんなら、やりたいことをやりきるために、現実的な手段を選択してがっと行けばいいのだ。

この元記事の山崎元氏がご自慢の人脈からの情報で評論されるんなら、どういう人に、どういう訓練必要で、それがどういう社会や企業のニーズに合うのか、見逃されてるのはどういうものなのか、なんてところをばしっと切り込んでいただきたいものだ。

# disってなんぼなのでしょうけども ;-p

ここ最近、情報科学がたまらなく面白い。いまさら認識したのかと思われる向きもあろうが、C/UNIX系プログラマー、ネットワーク構築、セキュリティ、業務プロマネ、そして技術ベンチャーとやってきたが、飽きもせずにやってきたのは、それぞれの時代の情報技術(Information Technology)の先端を垣間見ることができるというメリット以上に、情報科学(Information Science)へのあこがれだったんだ、ということ。

情報科学は、情報技術を実際に利用している者の視点から見た様々な問題を扱う。まず技術ありき、のアプローチではなく、まず問題(解決)に着眼するアプローチである。
情報科学 – Wikipedia

関心の根っこは、人が何かの情報に触れるとどういう行動になるんだろう?あるいは、ある行動は、どんな情報に刺激されたものなんだろう?というような、そういうこと。情報そのものをデータとして取り扱うことの楽しさ以上に、何か「効果」を発揮していくところに、非科学的と言ってもいい、人間の介在によるあいまいさとか、ゆらぎとか、あるいはイキオイのようなものが見られる。

これを「情報科学」と呼ぶのだと知ったときはとてもうれしかった!

科学ー何度も実験し、確証のようなものを得ていくプロセス。極めてあいまいな循環であり、ストックとフローの混沌である。これに「情報」というものをかけあわせてフォーカスしたものを情報科学というのであれば、とてつもなくエントロピーが高く感じる。マーケティングもファイナンスも組織マネジメントも、情報科学の適用だと思えば相当面白い。

情報技術的傾向として自分自身について考えるに、、システム屋ゆえだろうか、根深い阻害要因を認識した。たとえをあえて挙げると、直感を信じすぎてデータの隅々に向き合うのをめんどくさいと思うきらいがあること、また自分が仕組みに満足するとそこでおなかいっぱいになり、収束させる傾向があること。これは内部的阻害要因、メンタルブロックと認識した。

あれ?社会一般ってそういうのをどうしてるんだっけ?

そうこうするうち「社会科学技術論」というものに出会った。ここでは、社会的に「これでいい」つまり妥当だと思われることというものをどうやってコンセンサスを取るんだろう?という問題へのアプローチを考えるものだ。たとえば、公害規制、化学調味料の毒性、漏洩放射能の危険レベル、もっと身近に言えば、携帯電話の電磁波レベル、狂牛病対策検査など規制が明確に数値化されてるけど、どうやって決めてるんだろう?というような。

人体実験できるわけでも、何十年もかけて被害を見てから答えを出して良いわけでもない。ここに、科学的実証を前提とする科学の限界がある。また、問題解決のための新しい学説のデビューには、学会ごとに妥当性基準が異なるという構造的な問題がある。これを妥当性境界というんだそうだ。このボーダーが予想外に分厚く、クロストークがなかなかできない。実際、社会コンセンサスは科学者だけでは成り立たない。

だからといって、一般世論による意思決定でも不足だ。山崎はるかさんが群衆の叡智サミット2007のときに持ち出した話で、「これは食べられるかどうか」「この金属に毒性があるか」という問題を解決するのであれば、民衆には血であがなわれた実証をする以外にない。

何もしないわけにいかない。何か決めなきゃいけない。しかも妥当な結論にな!

そこで、社会的妥当性、組織的妥当性、経済的妥当性、科学的妥当性というそれぞれ無視できない妥当性境界を持ち出し、さあどうするよという激論をせざるを得ない。それには、微妙な変化を社会モニタリングすることも必要になる。定性的なものもなんとか定量化して分析したりしなきゃいけない。これは大きな課題である。全員に仕事があるから盛り上がる!

dankogai曰く、バランスを取るのは、あなたの仕事じゃなくてみんなの仕事だそうだが、バランスなんてものはぐらぐらするから面白いのだ。あれ、別に矛盾しないんだっけ。

それぞれの「妥当性」にうまい具合に重なるところがあればそこが合意点のドラフトになりうる。しかし、一見どこにも接点がなければ、エアポケットが生じ、へたすりゃ何年もほったらかしになりかねない。そこで、日本はどうしてるかって、他の先進国はどうしてるんだなんてところで決める傾向があると言われるが、他国がばりばりやってても華麗にスルーしてることもある。

実に面白いと思わない?

私としては、この曖昧な「情報科学」を追求する自分のへたくそな試行錯誤模様を書き残していかなければならないと思い、年末から、tech tech okdt(てくてくおかだっち)なるテクニカルフォーカスのブログを書き始めた。「テクニカル」と聞くとどん引きされる方も少なくないのだが、ここでは、この「情報科学」に重心を置きつつ、ソフトウェア技術からはじまり、社会科学、経営技術なんてのも意識して書いていこうと思う。

あえてはてなを使っているのは、テーマのなじみ感、読者の凝集性の高さかな。こういう話題は濃いところに放り込むのが正解。(不満もあるよ。不満はエネルギーなのでこれまた良い)。はじめたばかりなのに、予想以上にアクセスがあるものだね。

新年早々、tech tech okdtに、駅伝往路を見ながら書いたのをご笑覧あれ。これは、社会動向の数値化から何かの気づきをひねり出す情報科学の試みの本年の「書き初め」としたい。

1.走る人の増。(東洋大往路優勝おめでとう)
2.家計消費の改善
3.美味系消費は好調。カニ、マグロ
4.個人投資家急増ふたたび
5.お手軽海外旅行へ。成田利用は地方空港+ソウルへシフト。
6.自己に投資するサラリーマン
7.ホームレス支援施設の利用増。
8.全国的な高齢者の刑法犯増
9.中国株下落も、まだまだアクティブな中国人。日本への旅行者・日本定住者の増。そしてクレジットカード発行数激増。
10.地方での変動。人口シフト・議員年金・外国人

このご時世に右肩あがりなものを10個、必死こいて探してみた

もちろんツッコミどころ満載だ。視点さえあればネタには事欠かないはずだ。皆さんも楽しんでみられては。

本年もよろしくおつきあいくださいませ。

汐留のミラクルリナックス社セミナールームで開催された、高専カンファレンスで15分スピーチをさせていただく機会がありました。

ITmediaの記事「高専カンファレンスから伝播する高専生の「高専道」」

わたしのスピーチは、「Innovationと高専生」とタイトリングしました。

http://blog.handsout.jp/player/1000

変化、進歩をめざす気持ち、これはプロフェッショナルにとって最も大切な原動力だと思います。でも、残念ながらそのような人は決して多くない。自分がその少数派だと気がついたら、そのポテンシャルを活かしていこうよ、しかも徹底的にね、というメッセージを込めました。

テックスタイル・グループならびにその関係者には、偶然ですが、前のめりに楽しい激しい経験をしてきた高専卒業生が少なからずいます。きっと自分のアドバンテージを活かしやすく、さらに成長の痛みを感じられる場所なんだと思います。

# 新卒、中途いずれも、就職のご相談は歓迎していますよ。

さて、このカンファレンスで見たプレゼンテーションで、面白かったものをご紹介しましょう。

1.「Webと複雑系」june29さん

このライトニングトークでのプレゼンテーションでは、複雑系を専門にするjune29さんの軽妙なトークがありました。そこで、Webの行動で生じるロングテールのデータは、対数を底にとると右肩下がりの直線を描く、というデモがありました。はてなブックマークなどをプロットして見せていましたね。

しかし、偏りが生じないほどノンジャンルなテーマで、かつ同質性のない母数があることを前提とすると、基本的に個別の行動特性をプロットすると正規分布に近づいてくるという統計のリクツからすれば、ロングテールなグラフを、対数を底にとってプロットしなおすと右肩下がりな直線を描くのは当然です。

見所はそこじゃなくて、むしろ、その直線になるはずのものが、現実にはまっすぐではなく、若干ゆるやかなカーブを描くことがあるわけですが、なぜゆがむか、ということ。ここです。

そのカーブ度合いと集団の特性、あるいはテーマの同質性には相関があるはずだと思うんですよね。で、もっとたくさん描くことで仮説検証はできそうです。正規分布での中心からの振れ幅を経済予測では「リスク」といいますが、その直線とプロットした曲線とのずれなんかもそれを可視化するツールになるポテンシャルがあります。うわー、使えそう!

「群衆の叡智サミット」をやってきて、拡散した群衆の行動の価値は自明なのですが、集約のメカニズムはまだまだ未熟。codeなにがしも、3度目のリリースをした予測市場Predicionもことさらに盛り上がってきているところですが、もっともっとやれることがあるはずだと思っています。

2. 「高専生に大切なこと」井上恭輔(きょろ)さん

井上さんはプロコンで4年連続入賞している凄腕プログラマ。彼のその創作意欲は、常人の域を超えているように思いました。だって作るもの作るもの、大爆笑なんですからw そのプロセスで学んだことが、ソフトウェア・デザインではなく、むしろ人間の価値観とのマッチングの妙にある、というとことがツボでした。

この人の物作りからは引き続き目が離せない。

3. 「高専生 existing はてな」hxmasakiさん

ライトニングトークで登場されたhxmasakiさんは、今、はてなでバイトしてるんだそうです。インターンには一度落ちてるんだって。で、彼は材料だとか流体力学とかそっち系の専門の人だそうで、はてなで一体なにやるんだろう?と自ら思っていたら数日以内に大忙しになったんだそうな。

なんとサーバーの筐体を作ってるんだって!しかも3Dで空気の流れをシミュレーションまでして、最高のサーバを作る努力をしてる。そうだよね、材料さえあればなんだって作れますよね。わたしは電気工学科でしたけど、電気回路で演算ができるなんて学術的なことよりも、オーディオだろうがラジオだろうが、電気で動くものならなんだって作れる、ということのほうが根っこにありました。

そういう感動、忘れちゃいけないですよね。

他にも、高専の学生時代をほうふつとさせる、「高専病」のお話も面白かったなあ。女の子、少なかったものね。女子高専病も大変なんだね。神戸高専でも女性は「例外なく全員」モテモテでしたよ。なんかおかしいよね、あの現象w

まあ、冗談はともかく、高専生は常識レベルに偏りがあり、卒業してから苦労して学ばなければならないことが予想外にたくさんあります。でも、それをこなしていくだけの学習力は訓練してあるはずだし、プライドが持てるだけの経験もしてるから、がんばれるはずだ。

これが高専のプロフェッショナル育成メカニズムなんだろうと思います。

当日、児玉さんとしみじみ話したこと。「高専で学んだコンテンツそのもので社会で役にたったことなんてこれっぽっちもない。でも、経験したことから得たプロセス力は破壊力抜群だよねー」と。

新たな視点で分析するにも、ものづくりを粛々とやっていくにも、つまるところは変化と進歩を志すことだけがプロフェッショナルの価値の源泉であると思う次第です。

慢心せずに勉強と経験を積み続けていきたいものです。

イノベーションを目指す気合いの入った「ヘンなやつ」、テックスタイル・グループでお待ちしています。就職相談はもちろんのこと、まずは、一度遊びにいらしてください。

ここでそーっと言いますが、インターンも高専生は優先的に歓迎しますよ。

追伸:当日の講演の模様がニコニコ動画にもアップされました。はじめのほう、マイク握ってしゃべっちゃって音割れしてますが、すぐに改善されますので我慢して見てください。
http://ext.nicovideo.jp/thumb/sm5515719

米Autodeskのウェイン・ホジンズ氏によると、Strategic Futuristは世界で20人らしい。

同記事より:

問題を分析するときに、個々の事柄に着目してしまいがちだが、これでは問題の一部しか見ていないことになる。そうではなく、「物事を一般化し大きな単位にした後で、小さな単位に落とし込んでいくという二極化した考えが必要だ」とホジンズ氏は述べる。

演えき法と帰納法で俯瞰的にロジカルシンキング、なんて、別段スペシャルなアプローチじゃないよね。「戦略」やるんならなおのこと。

むしろ、そのロジカルシンキングの限界を意識しなきゃだめで、たとえば、すでに起きたことのある事象、つまり事実のみを根拠とする前提であるため、変化の激しい領域や、未踏の領域にはほとんど通用しないということ、とか。そういうことを指摘しないと「*未来*戦略家」返上ではないかと。

# この記事、全面にわたって突っ込みどころだらけなのですが、
# 冗談はほどほどにして、と ;-p

「本質探し」これは面白い。

単に分解と合成をするだけでもたいてい面白いが、そこをさらに軸を出して、「本質」なんて謎めいたラベルのついたお宝を探すわけ。おお、これだ!なんて思いこんじゃうし、人にしゃべっちゃうし。「本質」とかって言葉がついてれば、なんか納得しちゃったりして。

# もしかして、「本質」って、最近の自己啓発系、知的生産系を凌駕するバズワードなのかも?(ぎゃはははと笑ってください、ここは)

閑話休題。

けど、「本質」だと思ったことが本当に本質なのかはどうやって決められるんだろう?

表層的なことよりも「本質に近いと思われる」ものは複数あるでしょうし、その最大公約数をだしてみる、という感じなのかな。それでもViewが違うと答えが違うよね、多次元だから。

「これが本質だ」という思考ゲームとか、なにか発見できるって楽しいけど、その実は腹落ち感程度なのではないかな?それでも、そこでえいや!と決めて行動できることのほうが、本質の追及につながる行動なのだと思う。

過去的な、理屈と情報勝負の分析なり解説なりによるretrospective問題解決は答えがあるだろうけど、未来の、感覚的なprospective分野はとてもchaos(カオス)だからいろいろやり方が拡散していいわけなんだよ。

だからrisk loversはそこでプレイヤーとして動くんだ。たのしーい。

http://jp.techcrunch.com/archives/20080725dr-randy-pausch-carnegie-mellon-cs-professor-dead-at-47/
より、
Last Lecture – 「最後の授業」で知られるランディー・パウシュ教授(カーネギーメロン)がとうとう亡くなったとのこと。大前さんもこの人の話をあるコーナーで一番に取り上げていた。

まだ知らなかったら、本読むより動画で授業を見た方がいい。全編バージョンもいろんなサイトで公開されているし、「最後の授業」とか「Last Lecture」で検索すればざくざく見つかる。日本語のキャプションが入ったものもあるようだ。(初めて見たときは無かったけど。)

さて、テーマを絞った話だとしても、今からやるステージが、「最後」だったら、自分は何を伝えたいのか、なんて考えてみたらどんなところが変わるのだろう?

彼の、悲壮感のない、それでいてメッセージ性のとても強いその「Lecture」は、その内容はさることながら、「Last」に向き合う人としての姿勢をLectureするものだと感じた。

後に、Randy PaucheのLast Lectureは私になにか大きなものを残してくれたと言えるようでありたい。

森に行ってみたことがありますか。

私は、梅雨入りした時期の秩父の森とか、大好き。

森の全体ビューを楽しむ人もいれば、個々の木々を見て感動する人もいる。ちなみに、今朝の朝礼で尋ねると、そこにいたスタッフの大半は個々の木々をじっくり見たいタイプで、わずかながら、森としての全体の景観を楽しみたい人がいた。

いずれにしても、森としての成り立ちが、個々の木々の魅力に不可欠。すなわちWhole-Partの関係性。この関係には学べる要素がたくさんある。森に立つ看板には、その森の歴史やなりたちのような概要から説明が書かれていて、続いてそれぞれの個々の木々や小路の解説に言及している。木も森も見ろ、と。

さて、会社から業界という枠組みに拡げて考えても、我々の開発活動はPartでしかない。できることは、せいぜい個別最適。

統計によると、2006年現在、インターネットの利用者は世界人口の16%、日本では60数%にすぎない。そこで利用者にとって快適なツールを作っていくことは、現時点では人類社会全体からすればプチ富裕層のための個別最適にすぎないと言わざるを得ない。人類の叡智を結集できる枠組みにはほど遠い。

だから、それを理解した上で、レバレッジを狙うことに集中しなきゃいけない。たとえば、インターネットユーザを介して、その向こうにいるインターネット利用者ではない人びとや地域にプラスの影響をもたらす方向を狙う。でも、その結果、out of the Netからのフィードバックをどうやって集めるのか、考えなきゃいけないことがたくさんある。それでも、リアル・コラボレーションのハブって何だろう、これをテーマに考えなきゃいけない。

それを、先日LUNARRの高須賀さんに話したら、「それは、めっちゃ考えなきゃいけないけど、答えは出せそうな問題ですね」と言ってもらえた。

だからなのかな、リアルにイノベーションを目指している「人」同士のケミストリを強く誘発する活動にはとても意義を感じる。それが、OSBBだし、WASFORUMだし、WOCSだし、JBPだし、IPAでの活動にもそれがある。そして、ほかでもなくテックスタイル・グループの目指しているもの。

いずれも、大変なんだけど、すっかり楽しめることがカギなんだよね。

じゃあどうするのか。

個々の木をきめ細やかに育てる仕事も、全体として森を守る仕事も、両方とも重要。同時に、理解しあわなければならないけど、両者ともゼネラリストになる必要はないんじゃないかと思ってきた。

「いろんなことができる人」と「なんでも屋」は違う。自分は、やりたいことなら何でもできるようになりたいけど、それでも「なんでも屋」と言われちゃったら負けだと思う。

(個別最適至上主義でなんでもかんでもかけ算方式で全体に展開しようとすると、合成の誤謬(fallacy of composition)が生じ得る。また、ゼネラリストのオーバーコントロールは個々の進歩を容易に阻害しうる。)

ここは、楽器の演奏とバンドの関係と同じで、それぞれのプロフェッショナリゼーションが、他者の視点からの試練を乗り越えるべく気持ちよいGrooveを出していこうと進歩すると、それぞれが外部との共通的なインターフェースを持つようになるので、ひいては全体として調和と成長の両方をもたらしてくれる
ポテンシャルになる。

先日のJBPは11曲、入れ替わり立ち替わり加わったセッションプレイヤーは15名、うち、junoさんはキーボーディストかつバンマス。彼には強いこだわりと意見があるが、それがかえって、全員がいい感じにまとまるきっかけを作っていた。さすが、junoさん。

全体の成長のためを考えれば考えるほど、むしろ逆に自分に軸を強く持って、それぞれのプロフェッショナリゼーションを磨いていかなきゃ。本も読むし、人にも会うし、ベースも練習する。

それはそれは、スリリング。

木を育てる人と森を守る人、個別最適と全体調和、どっちも軸が必要だということなのだと。
だから、そこを磨いていかないと成長しないと思うんだよね。

よっしゃ、一緒に何かやったろうじゃないの、という方、会ってくれませんか。