今朝5時過ぎに時事通信からの速報が、「米国を代表する歌手の一人、レイ・チャールズ氏が死去」とのメッセージを配信してきた。(少し詳しく書いているワシントンポスト誌にリンクしておく)肝臓を患っていたとのこと、73才だそうだ。肝臓か … さもありなん、という感じか。
レイについては音楽的な「偉人」。次の新曲を期待している、とかそういうミュージシャンではないから、音楽界が何か大きなものを失ったかといわれると、そうではないように思う。彼の作品 ? プライベートでは2回の離婚、12人の子供がいるそうだが ? 彼の音楽から影響を受けた、R&B、SoulミュージックのDNAを引き継いだミュージシャンは増えることはあっても減ることはないだろう。
いや、「Ray Charlesが聞けなくなる」というのがあるとすれば、彼の死去以外の要因だろうね。最たるものは輸入CDの規制だとか、、、。
万人のスピリットに訴えかけてくる彼の歌の価値は、童謡とか唱歌の類、あるいは「みんなの歌」の世界に入ってくるものではないかな。Rayが自分の歌をこれからどうしたかったかは私には知る由もないが、先人が受け継いでもらいたい何かを残す気持ちに国境はないだろうよ。なんにせよ、人が作ったすばらしいものを賞賛する機会を制限するのは、価値の認識不足か、あるいはある種のひがみにしか見えない。
私はレイ・チャールズに「影響を受けました」というほど詳しくないが、このニュースを聞いて、Ray版のSomething’s wrongを聴いたり、Blues Brothersに出演していた元気なRay Charlesを見たくなったり。大したことは思いつかないにしても、何かを成し遂げる、何かを残す、何かを発見するということについて少し考えることにしよう。