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箱根駅伝

ここ最近、情報科学がたまらなく面白い。いまさら認識したのかと思われる向きもあろうが、C/UNIX系プログラマー、ネットワーク構築、セキュリティ、業務プロマネ、そして技術ベンチャーとやってきたが、飽きもせずにやってきたのは、それぞれの時代の情報技術(Information Technology)の先端を垣間見ることができるというメリット以上に、情報科学(Information Science)へのあこがれだったんだ、ということ。

情報科学は、情報技術を実際に利用している者の視点から見た様々な問題を扱う。まず技術ありき、のアプローチではなく、まず問題(解決)に着眼するアプローチである。
情報科学 – Wikipedia

関心の根っこは、人が何かの情報に触れるとどういう行動になるんだろう?あるいは、ある行動は、どんな情報に刺激されたものなんだろう?というような、そういうこと。情報そのものをデータとして取り扱うことの楽しさ以上に、何か「効果」を発揮していくところに、非科学的と言ってもいい、人間の介在によるあいまいさとか、ゆらぎとか、あるいはイキオイのようなものが見られる。

これを「情報科学」と呼ぶのだと知ったときはとてもうれしかった!

科学ー何度も実験し、確証のようなものを得ていくプロセス。極めてあいまいな循環であり、ストックとフローの混沌である。これに「情報」というものをかけあわせてフォーカスしたものを情報科学というのであれば、とてつもなくエントロピーが高く感じる。マーケティングもファイナンスも組織マネジメントも、情報科学の適用だと思えば相当面白い。

情報技術的傾向として自分自身について考えるに、、システム屋ゆえだろうか、根深い阻害要因を認識した。たとえをあえて挙げると、直感を信じすぎてデータの隅々に向き合うのをめんどくさいと思うきらいがあること、また自分が仕組みに満足するとそこでおなかいっぱいになり、収束させる傾向があること。これは内部的阻害要因、メンタルブロックと認識した。

あれ?社会一般ってそういうのをどうしてるんだっけ?

そうこうするうち「社会科学技術論」というものに出会った。ここでは、社会的に「これでいい」つまり妥当だと思われることというものをどうやってコンセンサスを取るんだろう?という問題へのアプローチを考えるものだ。たとえば、公害規制、化学調味料の毒性、漏洩放射能の危険レベル、もっと身近に言えば、携帯電話の電磁波レベル、狂牛病対策検査など規制が明確に数値化されてるけど、どうやって決めてるんだろう?というような。

人体実験できるわけでも、何十年もかけて被害を見てから答えを出して良いわけでもない。ここに、科学的実証を前提とする科学の限界がある。また、問題解決のための新しい学説のデビューには、学会ごとに妥当性基準が異なるという構造的な問題がある。これを妥当性境界というんだそうだ。このボーダーが予想外に分厚く、クロストークがなかなかできない。実際、社会コンセンサスは科学者だけでは成り立たない。

だからといって、一般世論による意思決定でも不足だ。山崎はるかさんが群衆の叡智サミット2007のときに持ち出した話で、「これは食べられるかどうか」「この金属に毒性があるか」という問題を解決するのであれば、民衆には血であがなわれた実証をする以外にない。

何もしないわけにいかない。何か決めなきゃいけない。しかも妥当な結論にな!

そこで、社会的妥当性、組織的妥当性、経済的妥当性、科学的妥当性というそれぞれ無視できない妥当性境界を持ち出し、さあどうするよという激論をせざるを得ない。それには、微妙な変化を社会モニタリングすることも必要になる。定性的なものもなんとか定量化して分析したりしなきゃいけない。これは大きな課題である。全員に仕事があるから盛り上がる!

dankogai曰く、バランスを取るのは、あなたの仕事じゃなくてみんなの仕事だそうだが、バランスなんてものはぐらぐらするから面白いのだ。あれ、別に矛盾しないんだっけ。

それぞれの「妥当性」にうまい具合に重なるところがあればそこが合意点のドラフトになりうる。しかし、一見どこにも接点がなければ、エアポケットが生じ、へたすりゃ何年もほったらかしになりかねない。そこで、日本はどうしてるかって、他の先進国はどうしてるんだなんてところで決める傾向があると言われるが、他国がばりばりやってても華麗にスルーしてることもある。

実に面白いと思わない?

私としては、この曖昧な「情報科学」を追求する自分のへたくそな試行錯誤模様を書き残していかなければならないと思い、年末から、tech tech okdt(てくてくおかだっち)なるテクニカルフォーカスのブログを書き始めた。「テクニカル」と聞くとどん引きされる方も少なくないのだが、ここでは、この「情報科学」に重心を置きつつ、ソフトウェア技術からはじまり、社会科学、経営技術なんてのも意識して書いていこうと思う。

あえてはてなを使っているのは、テーマのなじみ感、読者の凝集性の高さかな。こういう話題は濃いところに放り込むのが正解。(不満もあるよ。不満はエネルギーなのでこれまた良い)。はじめたばかりなのに、予想以上にアクセスがあるものだね。

新年早々、tech tech okdtに、駅伝往路を見ながら書いたのをご笑覧あれ。これは、社会動向の数値化から何かの気づきをひねり出す情報科学の試みの本年の「書き初め」としたい。

1.走る人の増。(東洋大往路優勝おめでとう)
2.家計消費の改善
3.美味系消費は好調。カニ、マグロ
4.個人投資家急増ふたたび
5.お手軽海外旅行へ。成田利用は地方空港+ソウルへシフト。
6.自己に投資するサラリーマン
7.ホームレス支援施設の利用増。
8.全国的な高齢者の刑法犯増
9.中国株下落も、まだまだアクティブな中国人。日本への旅行者・日本定住者の増。そしてクレジットカード発行数激増。
10.地方での変動。人口シフト・議員年金・外国人

このご時世に右肩あがりなものを10個、必死こいて探してみた

もちろんツッコミどころ満載だ。視点さえあればネタには事欠かないはずだ。皆さんも楽しんでみられては。

本年もよろしくおつきあいくださいませ。

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Okdt BLOG過去記事「箱根駅伝のパワー」 (January 03, 2002 )に書いたとおり、正月恒例、箱根駅伝には注目している。WEBサイトを探した。あれ、Googleでは、第79回、第78回のものが検索結果として表示され、今回、つまり第80回のサイトは出てこない。しばらく気がつかなかったが、表示されたURLの79と書かれているところを80に直すと今年のサイトがでてきた。まだアドレスバーに手を入れなければならないのか。

2004年箱根駅伝第80回オフィシャルサイト
http://www.ntv.co.jp/hakone80/index.html

これで、80ってあるね。2005年はきっとこう。

2005年箱根駅伝第81回オフィシャルサイト
http://www.ntv.co.jp/hakone81/index.html

これで将来はどうなるかわかるね。

でもまてよ、親父ならどうするだろう。Googleなんて知らないよな。

そこで、Yahoo!で検索してみた。お〜。さすがにYahoo!の検索結果ではでかでかと太字で掲載されており、今年のもの、過去のものへときちんと誘導されていた。とぉっても親切。

http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/sports/hakone_ekiden/
※ 追記(2007/1/3) リンク先を変更しました。

ネットユーザの属性と検索エンジンには相関関係がある。たとえば、Googleを利用する人間はネットでモノの値段を調べるが、結局最初に見たサイトではほとんど買わない、ともいわれる。それで、Yahoo!からは率直かつ明快な回答、answer, solutionに誘導し、Googleからは詳細、difference, detailに誘導するのが効果的だ。

Googleで今年のがちゃんと出ないのにはちょっと首をかしげたが、よく考えてみると、箱根駅伝についてGoogleで調べるユーザ層には箱根駅伝オフィシャルサイトではなく、ファンサイト、出場校サイトなど、言及のあるサイトを示せれば目的は達成されるというわけか。そもそもオフィシャルサイトなんて見ない、ということだろうか(笑 NTVさん、このSEOアプローチ、わざとだったらアリ。わざとでなかったらマヌケ。

明日の昼には大手町に出かけてリアル箱根駅伝を見よう。検索エンジンなんてどうでもいい、フィジカルな世界を楽しまなくっちゃね。ちょっとまてよ、読売新聞社前ゴールってどこだっけ。そっか、オフィシャルサイトみればいいんだ。(‘-‘ )

本日、箱根駅伝復路で大手町に帰ってくるというので昼過ぎにでかけた。アンカーの10区は横浜から東京へかけあがってくるわけで、かわいそうに町中の排気ガスの中、しかし沿道の大声援の中、大手町読売新聞本社前にゴールインするコースだ。わたしは有楽町駅からぼつぼつ歩いて位置決めをした関係で、ゴール前ではなく、日比谷通りから東京駅のほうに入っていくコーナー付近で観戦することにした。

実は私、昔は陸上のりょうちゃんだったのである。とはいえ、小、中学までなのだけれどね。マラソン大会や駅伝では結構ならしたもので、陸上部でもない割にそこそこ早かったのである。というのは親父さんがこれまたスポーツ好きで、それに連れられて走る習慣があったわけだ。中距離どまりではあったが、今でも走るのは好きで、こう、走る習慣がないと何が楽しいのか、一向にわかんないものだそうだが、わたしには理解できる。こう、自分との戦いなのであり、到達する苦労と根性の限界と、達成した喜びを心底感じるスポーツなのである。
そういうわけで毎年正月は恒例の箱根駅伝を親父と並んで見ていたものである。走者も、沿道で応援する人もわたしはTVでしか見たことがなかった。これが今年はなまですよ、なま。待つことおよそ20分(効率いいやん)。

道路は封鎖され、沿道の観衆もしばししーんとする。息を飲んで待っていると、遠くから読売新聞の旗が徐々に、徐々に盛り上がりながら振られてくるのがわかる。一位を決め込んで走ってくる選手が見える。二位の選手は追いつきそうもない距離の開きのあとかけこむ。三位の早稲田は気合い十分、いい感じに追いつきそうな距離で疾走している。こいつは速いな。おいつくんちゃうか。結局ゴール前であと20メートルまで追い込んだそうだ。この最後のスパートでそこまで行った早稲田のアンカーはかっこいい。しかし、ここまでくれば先頭でなくてもいいのだ。わたしにはシード校争いの3,4人の集団にも、最後を走っていた走者も、走者としてのプライドのようなものがある。すさまじい形相で走っているのだが、こいつに「あきらめろ」という観衆はだれもいない。

まさに1、2メートルそこそこの前を走っていくので息遣い、汗、けわしい表情、それでいて勝利を確信した足並みを感じられる。「がんばれー」「はしりぬけー」「いける!いける!」「はやい!」東京駅が見えていようが、まだここからゴールまで5キロくらいあるのだ。今が一番しんどいときだろう。しかしここでなげちゃだめなんだ。そして全員が沿道の大群衆からパワーをもらって走りぬいた。こう、わからないだろうが、わたしは結構熱いものがこみあげてくるのを感じたし、パワーをもらった気がした。レースが終わったころにゴール前の大手町読売新聞前まで行ったが、まだまださめやらぬ大群衆の笑顔や応援団の合奏に、走る人と応援する人の「気」のすさまじさを感じた。