クラウドソーシング(crowdsourcing)はどうしたものか

アウトソーシングならぬ、クラウドソーシングの話。

Wikipedia、「Crowdsourcing」より
http://en.wikipedia.org/wiki/Crowdsourcing

Crowdsourcing is a neologism for the act of taking a job traditionally performed by an employee or contractor, and outsourcing it to an undefined, generally large group of people, in the form of an open call. For example, the public may be invited to develop a new technology, carry out a design task, refine an algorithm or help capture, systematize or analyze large amounts of data.

USにはCrowdsourcing企業が着々と増えている。

不特定の群衆による、分散された知見や、あるいは労働力によって何がしかの成果を目指すものなのだけど、Crowdsourcingのポイントは主に企業が主体になり、いいだしっぺとファシリテーションを受け持つということだ。多くの解説に「安く済ませる」という言葉が散見されるが、それよりも群衆の持つポテンシャルを企業が利用するというところに着目することが重要で、インセンティブを定義しなければならないし、それは有形であれ無形であれ協力者の納得のいくものでなければならない。

観察者の観点では、Wisdom of Crowdsにはいくつかの理解すべきコンセプトがある。

1.大集団をひとつの「個」に見立てて、なにかのアクションに対する行動や変化を観察することにより活用を図るコンセプト(視覚に着目)

2.大部分の人たちにはスルーされるだろうが、中にいるはずの関心の高い人の個別の”協力”を、できればたくさん引き出そうとするコンセプト(手足に着目)

3.大多数の人たちの自発的に出される意見を集約し、それにより新たなリスクやポテンシャルを探ろうというコンセプト(口に着目)

相互に必ずしも排他的なものではなく、あくまでコンセプトと表現したのだが、成果の演出において重心がどちらにあるのかはそれぞれのサービスを見れば考察しやすい。

1.はソーシャルフィルター(social filter)に使われることが多く、それらはdel.icio.usやはてなブックマークなどのソーシャルブックマークなど、いわゆる群衆による分類すなわちフォークソノミー(folksonomy)として出現している。RSSリーダーでの登録者数にもいくらか観察できるかもしれない。いずれにしてもニッチなテーマに至るまでその動向が見えるため、単なる人気投票的な「ランキング」よりも興味深い結果を出している。

2.はLinuxをはじめとするオープンソース、Wikipedia、またFlickrのような画像アップロードサイトも見られる現象で、いずれも関心のある人同士の積極的な集まりによる協業である。ピアプロダクション(peer production)と言われる。これはルールを決めるところがキモで、それさえコンセンサスがとれれば比較的ファシリテーションしやすい。

ただし、個別の成果の良し悪しが個々のユーザにゆだねられ、それを是正させる働きをするときに見られる機能は、それはsocial filterともいえる。オープンソースにせよ、ウィキペディアにせよ、それらは知見の高い個人による「目」の集積としての機能をアテにしている。

3.は、消費者によるメディア、CGMといわれる。主にブログだ。これは端的に言って、自分の欲求とツールの機能がうまく出会うとブレイクしていくものであり、主に、誰かにファシリテーションされて書くものというよりは、おそらくは特定の人、あるいは仲間を想定して発信される目的で自発的に行われている感覚だ。

ここで、それぞれのコンセプトと、日本人の特性を考えたとき、日本社会の特異性をどうやって活かせるだろうか。

はてなブックマークは技術者にウケすぎていて「ネットイナゴ」と揶揄されるにしても、依然、動きは活発だ。del.icio.usなんてのは英語のサイトなのに、ブックマークには日本語が散見される。価格コム、じゃらんなどのクチコミもそう。評価好きな日本人にはsocial filter機能はもってこいなのかな、と思われる。

ただ、流行っているものが売れるのが現在の日本の市場であり、social fiterを演出している側とそれに乗らされている側の格差や、その影響度は過度に大きい気がする。つまり、うまく火さえつけば瞬く間に群衆は自分の意見としてというよりも、群衆の意見に相乗りする形でノリノリになってしまう。

次に、peer productionはどうだろうか。ウィキペディアは日本語が存在するし、良くも悪くもアクティブではあるようだ。オープンソースは・・・。日本人の中には海外のプロジェクトに参画して何かを作り上げるのに大きな働きをしている人は存在する。しかし、日本人のコミュニティでは贔屓目に言っても元気なほうではない。仲間社会、既得権益社会で構成される日本人の特徴がこの分野での成果に大きく出ているようだ。

ただし、人が困っているときの動きは秀逸だ。オープンソース・コミュニティについて言えば日本はユーザ会ばかりだが、その多くは初心者の質問を扱っている。Q&AサイトのOKwaveや、プログラマのためのcodeなにがしでも、質問されるととても早く答えちゃうのだ。

仲間うちのネットワーク効果や、互助関係のつながりがめちゃくちゃ大きく作用するわけだ。

では、ひとりひとりの発想や独創性は発揮されないのか?そういうのは日本人の不得意とするところではないか、と言いたいところだ。しかし、世界中のブログでもっとも多く使われている言語は日本語だそうだ。

発信はキライじゃないけどツール次第。もののカラクチ評価はとても好き。でも、みんなが好きなものは私も好き。一時間待ってもクリスピー・クリーム・ドーナツは買いたいし、なんと言われても中国野菜は食べない。でも、狂牛病騒ぎで一度は廃絶した和牛はおいしい。亀田はおもしろかったり、ひどいやつだったり、かわいそうなやつ。電通がどんだけSecond Lifeを宣伝しても、「セカンドライフ」とは老後ののんびりした暮らしのことであり、それ以上の魅力は感じられない。

・・・悩ましい。

本日の仮説。

社会的なつながりに関する欲求(マズローでいうところの三段階)がとても強い日本人は、群衆の叡智として日本人だけをグルーピングした場合、その属性はあまり拡散しにくいし、大衆の意見を尊重することによって自分を守る。つまり、マーケティングデータはとりやすいが、ポテンシャルは取りにくい。

しかし、集団の中にいるニッチなスペシャリストを引っ張り出してくることにひとたび成功すれば、ゼネラリストタイプな専門家を養成して大衆に向かってメッセージを出すよりもはるかに高いポテンシャルがある。

彼らは職業的専門家だとは限らず、主婦だったり、10代の若者だったりするが、思わず火付け役に回ることがあり、その効果も計り知れない。ただし、彼らは求められれば口を開くが、自分からは積極的に口を開くとは限らない。いや、匿名の場合にはどこかしら変わった人格で饒舌になったりする。

そうすると、どこに軸足を置いたらよいのだろう。

最初のコンセプトである「social filter」で単なる動きを見せてもらうタイプのクラウドソーシングは新たな価値を生むとは限らない。せいぜいネタのシェアにより、アクセスランキングを加速させているだけになる。

むしろ、その中にいる個人に潜在している新たな気づきを発掘することに取り組む必要がある。これは欧米社会では大衆迎合を跳ね返す文化のため、とても簡単なことに見えるのだが、日本では同じ方法ではとても難しい。

アイデアを提供しやすいわかりやすいツールと、それを出してくれるインセンティブを明確にすること、そうする仲間をいかにして作り上げるか。それには単に欧米からコピペしたようなツール、WEBサイトではだめだ。そこから日本人ならではのファシリテーションを試行する必要がある。

「日本におけるクラウドソーシング」は、脳みそに汗をかかなきゃいけないトピックだ。

群衆の叡智サミット2007まで、あとわずか。

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